「屋根裏のラジャー THE IMAGINARY」(2003/東宝)
監督:百瀬義行
原作:A.F.ハロルド
声の出演
寺田心 鈴木梨央 安藤サクラ 杉咲花 山田孝之
仲里依紗 高畑淳子 寺尾聰 イッセー尾形
おすすめ度…★★★☆☆ 満足度…★★★★☆
いきなり冒頭からイマジナリとして存在するラジャーが登城して、自分はアマンダが創り出したイマジナリであることが語られる。
のっけからまずイマジナリありきのスタートで、アマンダも当たり前のようにラジャーと共に子供部屋から空へと冒険に飛び出していく。
この最初のノリはちょっときついかな。
実態としてのラジャーはアマンダにしか見えなくて、アマンダの周りの人々はそれに気づかず、彼の横を通り過ぎていく。
そもそもイマジナリという存在は子供の想像力が生み出したキャラクターであり、やがて大人になっていく過程で忘れ去られることでイマジナリそのものも消滅してしまう。
アマンダにしか見えないラジャーにとっては、アマンダこそが唯一のよりどころであり、その存在意義のすべてだという悲しい現実もある。
そんな二人の前にイマジナリを捕食する謎の老人ミスター・バンティングが現われる。
彼の横には黒髪の謎の少女が寄り添い、ラジャーたちに攻撃を仕掛けてくる。
この辺りのそれぞれの立ち位置というか、そもそもミスター・バンティングとは何者なのか、作品の中では説明されない。
自分の世代だとミスター・バンティングのビジュアルは、かつて角川映画「幻魔大戦」のカフーを思い出したし、謎の少女は「地獄少女」の閻魔あいやあの貞子もオーバーラップする。
その二人の魔手から逃れる途中でアマンダが交通事故に遭い意識を失ってしまう。
このままアマンダが目覚めないと自己の存在が消えてしまう。
そんなロジャーの前にジンザンと名乗る謎の猫が現われ、人間に忘れられたイマジナリたちが集まる図書館に連れて行く。
図書館ではイマジナリたちが人間たちの周りを飛び交い、深夜になると町へ繰り出し自由を謳歌していた。
そして夜が明けると次にイマジナリとして寄り添う子どもたちの写真の中から一人を選んで、また人間の世界へ旅立っていく。
ラジャーも新しい子供のイマジナリとなるが、今度は女の子の姿だった。
別のイマジナリとして町へ出たラジャーはアマンダの暮らす書店にたどり着く。
アマンダとラジャーの間にはひとつの約束があった。
「消えないこと、守ること、絶対泣かないこと」
依然として病院で寝たきりのアマンダを守るためにもう一度立ち上がるロジャーの前に、再びミスター・バンティングと黒い少女が襲い掛かる。
自分の子供時代にイマジナリがいたかどうかはもう思い出せない。
もしかしたら心のよりどころとなるキャラクターがいたのかもしれないと大人になって想像するだけでなんかワクワクする。
スタジオポノックの作品と聞いて、改めて確認したらジブリの元スタッフで、その後宮崎アニメとたもとを分かった人たちが立ち上げたらしい。
海外の作品を原作にしていたし、確かにそれっぽさはあるなと感じた。
年末の時期に公開されるアニメ作品ということで子供向きかなと思ったけれど、これは明らかに大人向きというか、子供には理解できない世界観。
ディズニー100周年記念作品「ウィッシュ」はそういった世代を問わず受け入れられるし、他にも「窓際のトットちゃん」があったり、年少世代には「すみっコぐらし」や「パウ・パトロール」、さらに満を持して大ヒットアニメの「劇場版 SPY×FAMILY CODE:White」までたくさんのアニメーション作品がスクリーンを席巻している。
自分が子供の頃にはアニメといえば「東映まんがまつり」一択だったことを思い出す。
ただし特撮ヒーローものも含めたテレビの人気作品の再編集版をメインに数本の作品で構成されていた。
自分が覚えているのは「長靴をはいた猫」くらいかな。
もはやあの時代でもテレビが主役となっていて、イマジナリを想像するのは難しかったのかもしれない。
声優陣には寺田心と鈴木梨央をメインに役者たちが名を連ねるが、印象としてはミスター・バンティングを演じたイッセー尾形の一人勝ち。
大人にとっても楽しい作品だったけれど、キャラクターたちの伏線回収が一部放置されていたのは残念。
ユナイテッド・シネマ前橋 スクリーン3