昨日のニュースです。
昨年から始まった吉野ヶ里遺跡の「謎のエリア」で、弥生時代後期のものと見られる石棺墓が発見されたとのこと。
吉野ヶ里遺跡では今まで弥生前期~中期(紀元前5~前1世紀)の墓は見つかっていたが、後期(1~3世紀)のものは見つかっていませんでした。
吉野ヶ里遺跡とは。。
佐賀県吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡で、弥生時代の大規模環濠集落跡として知られます。
1980年代に調査が始まり、1989年(平成元年)に遺跡発見の発表がなされました。
その遺構の様子が、魏志倭人伝に書かれた当時の「邪馬台国」を彷彿させるものとして注目を集めましたが、上記のとおり邪馬台国の時代に合致する墓などは発見されていなかった為、邪馬台国より古い時代の国だったであろうという見方が主流となっていました。
現在は「吉野ヶ里歴史公園」として、遺跡の復元建造物などを展示する広大な公園となっています。
全体案内図です。
その中で。。
「北墳丘墓」という歴代の王の墓があり、その近くには「日吉宮」という神社がありました。
北墳丘墓は赤の下線、日吉神社は赤で囲んだ位置です。
ここは神社があるため遺跡があるとは分かっていたものの発掘はされておらず、長年「謎のエリア」になっていた。。というわけです。
しかし日吉神社が昨年移転したため、その後発掘が開始され、今回の発見となりました。
この石棺墓はその位置や形態などから当時の有力者の墓である可能性が高いようです。
墓の内部は来月の5日以降に調査されるようですが、副葬品などの発見に大きな期待が集まります。
個人的には邪馬台国九州説ですが、吉野ヶ里にあった可能性は低いかな。。と思っています。
でも、日吉神社にはずっと注目していたので、新たな発見にはやっぱり期待しちゃいますね。