初めて「死という現象」を知ったのは、祖父が亡くなった時だ。
まだ物心がついていなかったのかその前後の事は何一つ覚えていないけど、不思議とその日の朝の風景だけは鮮明に覚えてる。
「おじいちゃんが死んじゃったよ」
そう言って僕を起こした母の声だけは覚えている。
祖父の死についてどう感じたのかは何も覚えていない。きっと何も理解できなかったんだろう。
…それから数年。
次に死と向き合ったのは祖母が亡くなった頃だ。僕は、祖母がもう永くない事を感じとれる歳になっていた。
怖かった。
祖父が亡くなった日の朝が不思議と蘇ってきた。祖母に迫りつつある運命がたまらなく怖かった。
死ぬって何?
何もなくなるの?
寝たら目が覚めないの?
そう思うと怖くて眠れなかった。
そして祖母は亡くなった。
悲しかった…怖かった。
何で死ぬんだろう?
何で無くなるのんだろう?
そう思うと、
なぜかこんな想いに繋がった。
" 何で生きてるんだろう? "
子どものころいつも、
死が怖かった。
だから…夜、墓場の前の道を歩くのが怖かった。
その道を一緒に歩いている父親は「何が怖い?」と怯えている僕に聞いた。
僕は本当は「死」が怖かったんだけど、うまく説明できないから「幽霊が怖い」と答えた。
父はこう言った。
「おじいちゃんとおばあちゃんの幽霊が出てきてくれたら、お父さんは泣きながら抱きつくよ」
子どもの僕は、父が何を言ってるのか理解できなかった。
父は無口な人だった。
思春期以降にこれといった会話をした記憶がない。父は時間の不規則な仕事をしていたから一緒に過ごす時間も少なかった。
父と久しぶりに長く同じ空間で過ごしたのは父が入院した頃だった。父は医者から余命半年と言われた末期の食道癌になっていた。
見舞いに行き父のベッドの横に座る。お互いに何か話したいけど何を話したらいいのかわからない…そんな感じだった。
そうやって時が過ぎるうちに父は声が出なくなっていった。もう、お互いに何を話したらいいか…ではなく「話すこと」自体ができなくなっていた。
"おはよう"
"おやすみ"
父の声を聞けるのはそれぐらいになっていた。かろうじて聞き取れるほどの、か細くかすれた声だったけれど。
父は無口な人だった。
でも心の優しい人だった。
家では金魚を飼っていた。
父が丁寧に水槽のメンテナンスをしていたからか、金魚はいつも長生きしていた。
父が入院し僕が代わりに飼い主になったが…餌の量が多過ぎたからか、ポンプのメンテナンスをしないからか、水槽の水は澱んでいった。金魚も弱っていった。
どうにかしないと…そう思ったがどうにもならなかった。
もしかしたら寿命だったのかもしれないけど…自分が殺してしまったという自責の念にかられた。
病院で日々小さくなっていく父と、飼い主を失い死んでしまった金魚が重なるような想いで、胸が張り裂ける気がした。
水槽の前で嗚咽した。
金魚を死なせてしまった事を父親に告げた。父親の置かれた状況を考えて、サラリと報告したつもりだった。
帰り際に、
父がかすれた声で僕を呼び止めた。
"金魚の世話ありがとう。
金魚を死なせてしまってゴメンな。
哀しい想いをさせてゴメンな…ゴメンな…"
どこまでも "か細く" なってしまった声で、父は3回も僕に謝った。
サラリと言ったつもりなのに僕の表情はただならぬものだったんだろう。
僕はただ頷き病室を出た。
号泣しながら家に帰った夜を今でも覚えてる。
父の声を聞いたのはそれが最後になった。
父親の死…という一度きりの体験は重かった。後悔もあった。虚無感もあった。何も食べずにその日は涙を流し続けた。
夜になると腹が鳴った。
腹が減っている自分に嫌悪感を抱いたのを覚えている。
人間は大切なものを失っても腹が減るんだ。自己嫌悪というより、生きてる事自体への嫌悪を感じた。
今から20年前の夜だ。
その日から、僕の中にあった死への恐怖が消えた。
慣れたのではない。
受け止めた。
後ろ向きに受け止めた。
死の怖さや絶望から逃れる為に、
生の輝きも丸ごと目を背けて生きてきた。
周りの人は誰も気づかなかっただろうけど…息をしていることのくだらなさや虚無感を常に抱えている僕がいた。自分をごまかすように、何もない10数年間を生きていた気がする。
そんな僕の前に、
アイドルと呼ばれる五人の女の子が現れた。カラフルな色を纏った女の子たちの笑顔は輝いていた。僕はその笑顔に瞬く間に惹きつけられた。
惹かれた…とは違うのかな?
きっと救われたんだ。
一目惚れした相手に毎日惚れ直していくように、彼女たちへの愛情は積み重ねっていった。
何でこんなにも?
いつもそう自分に問いかけた。
答えはいつも出なかった。
一年前にボンヤリと思った。
僕が目を背けたはずの生の輝きが、引力のように僕を惹き寄せた。
彼女たちからはいつも生の輝きを感じていた気がする。彼女たちが発する生の輝きは、命知らずの無鉄砲に起因するものではきっとない。
死の恐怖を、死の残酷さを、死の哀しさを(きっと無意識に)受け入れ、死におののく事もなく媚びる事もなく抗わうでもなく、ただただ真っ直ぐに【永遠ではない刹那】と対峙しているから放たれる「生」の眩いまでの輝き。
そんな突拍子のない想いを、彼女たちの姿に投影していた。
彼女たちが、生と死や輪廻転生にまつわるコンセプトアルバムを発表した時、こんな声も聞いた。
"あの子たちが歌うべきテーマではないよ"
そんな声を聞いて僕は想った。
"ももクロ以外の一体誰が、本物の生と死について歌えるんだよ?"
アルバムを聴いて、
ドームでそれを体感した時、
僕がボンヤリと抱いていた無茶苦茶な妄想も完全なる的ハズレではなかったのかな?と感じた。
彼女たちは、
生と死の運命に決して媚びない。
だけど決して抗わない。
真っ直ぐに受け止めている。
生を預かったものだけが得られる、愛・勇気・慈しみ・夢・希望…そして「笑顔」で、避ける事の出来ない死の恐怖や絶望や理不尽と真っ直ぐに対峙している。
2枚のアルバム。
そしてドームの舞台。
死と並走する生の輝きを、彼女たちはまた僕に示してくれた。永遠ではない刹那と同居する眩し過ぎる生の輝きに触れて、いつまでも涙が止まらなかった。
彼女たちのおかげかどうかはわからないけれど…今の僕には昔のような死への恐れはなくなった。父の遺影を真っ直ぐに見つめることも出来るようになった。
それでも…
死がもたらす無情を消す事はできない。見ず知らずの人の死だったとしても胸が締め付けられる。だから人の生き死ににまつわるニュースは意図的に避けている。
だけど身近にある死は、否応なしに体内に土足で飛び込んできてしまう。
昨日の信じたくない出来事…たとえ名前と顔を知っているだけの女の子を襲った理不尽な運命だとしても…それはあまりにも身近だった。
僕は彼女の存在は知っていた。
だけどどんな子かは知らない。
それなのに彼女は近すぎた。
彼女は、
僕を救ってくれた五人の女の子たちのすぐそばにいたんだ。それは僕にとってはあまりにも身近な運命だった。
ももクロという僕にとって余りにも身近なフィルターを通してその現実は突きつけられた。
その事実が体内に入ってきた時、ももクロというフィルターが外されて余りにも身近な死としての哀しみに揺さぶられてしまった。
残された者たちが受け止めねばならないって事は理解している。
だけど残されてしまった"本当に"身近な者たちの哀しみを想うと言葉が見つからない。
僕が心から愛する五人は、笑顔で世界を照らし出そうなんて "おとぎ話" を馬鹿正直に信じてる勇敢な女の子たちだ。
いつだってその笑顔に救われてきた。だけど今はいいんだよ。自分たちを慕い、自分たちの背中を追い、自分たちと同じ夢を見つめていた、年下の女の子の儚すぎる運命に涙を零してくれていい。今だけは勇敢じゃなくていいんだ。
僕はいつだってももクロちゃんに救われてきた。たまには僕らの笑顔でももクロちゃんの哀しみをたった1mmでもいいから減らしてあげたい。この週末はそんな想いを胸の奥にしまいこんで横浜へと向かいます。