
記憶とは不思議なもので、時の経過と共に客観性が薄れ、主観的な想いから編集されているような気がする。
人間は脳の機能の大半を使っていないと言われるが、きっと脳はブルーレイレコーダーのように起きた出来事を正確に、鮮明に録画してるのだろうが、
再生機能がイマイチなのだろう…。
私が、日頃ママと呼んで慕っているメンタル心理士のブロガーさんの記事で「家族/解析 幼児教育 社会通念の変遷」というタイトルで書かれていた記事を読んで
遠い遠い幼い頃の記憶が(それも所々消失している)が思い出された。
私の両親は二人とも幼くして親を亡くし、15で自立を余儀なくされた。
そんな似たような境遇の両親は10代の時に出会い20歳になるかならないかの年で結婚と出産をした。
なので、同級生の親よりはるかに若かった両親。
母は専業主婦でいたことがなく(記憶では)常に仕事をしていて、現在もだが(笑)
家にいた記憶がほとんどない。
よく、精神科の医師や心理カウンセラーが患者の心理テストに絵を描かせるが、
仮に真っ白な画用紙に幼い頃の自分を描いてごらん…と言われて描くとしたら、
画用紙の隅っこに小さな子供を描いて、その子供は本を手にしている、他に人物は描かず余白を黒く塗るか、白紙の状態にするだろう。
どう、記憶を再生させても幼い私はいつも独りでいるのだ。
でも、特に寂しさも感じないで、泣く事もなく淡々と本を読んでいる。
比較する対象がないので、それが一般的な事だと思っていた私。
暗くなり、窓の外を眺める。日が暮れていく茜色。
でも、誰も帰ってこない。
部屋の電気をつける。眩しいほどの光…
それでも、まだ母は帰ってこない。本を読んだり、TVを観たりで時間を過ごす。
きっと、私の脳のHDDには、もっとマシな記憶も録画されているのかもしれないが、生憎再生できない。
憐れみが欲しい訳ではなく、なんだか記録してみようと思った。
鮮明に再生できる記憶の方が書きづらくもある。
さぁ、朝も早いので眠らなければ…