また、夜中に目が覚めて眠れなくて横になってたらイエス様の事を考えてた。


クリスチャンになる以前の私は、宗教なんてうさん臭い(オウムとかあったしね)から、サラ金と宗教と薬物(覚せい剤とか非合法のもの)には近寄るまいと考えてる人でした。

でも、いろいろあって生きるのに絶望していた時、クリスチャンの友人との出会いがあり、教会に初めて訪れる機会を与えられました。

いろんな先入観を持って警戒していたけど、意外に普通でした。私と何にも変わらない普通の人達が日曜の礼拝に集っている。

とても穏やかで平安な空気に満ちていました。礼拝中私は涙がポロポロこぼれてくるのを止められませんでした。

互いに支えあい、互いを尊重し、互いを思いやって、互いに祈りあう。そんな、暖かいイエス様の愛に包まれている空間でした。

最初は、ダーウィンの進化論の否定や、聖書の内容に、疑問符がいっぱいあって心に神様を受け入れる事が出来なかったけど、

私には戻る道もなかったから、思い切って前に突き進んだら、神様の事を少しずつ理解出来るようになりました。

イエス様は罪深き私達人間の為にその命をお捨てになられた。唾をはきかけられ侮辱されながらも、そんな人間達の為に凄まじい拷問の末、凄惨な十字架の刑に処された。


それは全て貪欲で妬み深く、卑怯で弱くて、汚れきった愚かな私達人間への普遍的で無償の深い深い愛ゆえであった。


そのことを思うと涙がわきあがってくるのです。


マザーテレサがかつて言っていた事に「本当の不幸は貧困や病で死にかけている人でなく誰からも愛されず関心を持ってもらえない人だ」と…