イプセン②「幽霊」 | 白州本樹のブログ

イプセン②「幽霊」

幽霊

さて、第2弾は「幽霊」です。

人形の家の次に書かれたこの作品は、

「ノラの後には必然的にアルヴィング夫人がこなくてはいけない…」

と言うイプセンの手紙にあるとおり、

家出から戻された夫人がその後どうなったか、という意味合いもある。

しかしそれ以上に「梅毒」「近親相姦」「聖書批判」等、当時タブーとされていた問題があからさまに提示され、ごうごうたる非難の嵐にさらされた。

発表は1881年。

多くの都市で上演が禁止され、世界初演は翌82年、アメリカ、シカゴにて。

本国ノルウェーでは1900年まで上演が認められなかった。

登場人物はわずか5人

アルヴィング夫人 (未亡人)

オスヴァル アルヴィング (その息子、画家)

牧師マンデルス

大工エングストラン

レギーネ エングストラン (アルヴィング夫人に仕える女中)



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第一幕



場所はおそらくノルウェーのフィヨルドの港町ベルゲン(僕もかつて行きましたが大変美しい街でした。)

この街の名士であったアルヴィングは、放蕩の限りを尽くして10年前にすでに他界している。

物語は、未亡人と牧師が亡き夫を記念してつくられた、アルヴィング大尉記念孤児院の落成式を明日に控え、打ち合わせをしているところから始まる。

パリで画家の修行をしている息子のオスヴァルもこの日に合わせて帰省している。

この家には召使のレギーネという若い娘も住んでおり、大工エングストランの娘と言うことになっている。

アルヴィング夫人はかつてマンデル牧師を慕っており、一度、夫を捨てて彼の元に走ったが、聖職者で生真面目な牧師は、そのような行為は社会的に不道徳な行為だと言って彼女を正道に戻し、その時のことを懐かしんでいる。

現にその後のアルヴィング夫婦の生活は幸せを取り戻し、事業も発展し、彼女自身も夫に十分すぎるほど協力し、地域の向上にも大きく貢献した。

また、彼女が妻としてだけではなく母親としての義務を放棄し、息子を海外に出してしまった事をマンデル牧師は非難する。

牧師は息子のボヘミアン的な生活にも批判的である。

それに対し夫人は、牧師はうわべしかみていないと反論する。

夫は世間一般で広まっていた評判とは裏腹に、彼自身はすでに腐っていた。

つまり道楽が災いして、実は梅毒に感染していた、というのである。

そして夫人は、夫とかつての女中との秘戯も目撃したといい、その結果うまれた子供が、いまの女中のレジーナだと打ち明ける。

その後、その女中はエングストランと結婚し、レジーナは世間的にはエングストランの娘と言うことになっている。

そしてこの(毒に犯された屋敷)の事実を知られないよう、当時7歳だった息子オスヴァルを外国に出したのだった。

更に、夫の功績と世間一般で称えられている事業も実はみんな夫人が行ったものだったと打ち明ける。夫はすでに無能のひとであった。

その時、食堂からレジーナの叫び声がした。

息子オスヴァルが彼女に手を出したらしい。

夫人は狂ったようにドアのほうを見つめ、かつて夫と女中が戯れた、あの時の光景を思い出す。

「幽霊…温室部屋の二人が…また現われた」と呆然となる。

第二幕

先ほどの事件の後、

牧師はレジーナを父親エングストランの元に返すべきだと主張するのに対し、夫人は、息子が真剣ならレジーナと結婚させるという。

しかしレジーナはエングストランの実の子ではなく、亡き夫と女中の間に生まれた子である。つまりオスヴァルとは血がつながっていることになる。

「近親相姦など前代未門だ。」と言う牧師に対し、夫人は「この胸の中に住んでいる幽霊みたいなもの…それを追い出すことは出来ない」と言う。

孤児院の建設を終えた大工エングストランが現われ、最後に仲間同士でお祈りを捧げたいと牧師にお願いする。牧師はエングストランと一緒に屋敷をでる。

その後現われたオスヴァルは自分が病に侵され、精神的に破壊している。仕事の出来る状態に二度と戻れないのだと打ち明ける。

そして、パリの一流の医者に「生まれたときから虫食い状態だった、父親の罪が子に報いた」といわれたことを母に打ち明ける。

そしてレジーネが妹だと知らぬオスヴァルは、自分の健康や希望を彼女に託していることを知り夫人は驚愕する。

ミサから戻ってきた牧師に、夫人は「本当のことを告げねばならない」と言った時、孤児院が火事だという騒ぎが聞こえてくる。

一同騒然となる中、牧師は「あの炎はこの乱れた家に下された天罰ですよ」と叫ぶ。

第三幕

孤児院は全焼し、出火の原因は牧師のミサの炎の不始末だったのではないかとエングストランに指摘され、すっかり弱腰になる。牧師は社会的非難や中傷を恐れているが、今度はエングストランが計画している船乗りの宿の建設に協力することを誓い、一緒に去る。

二人が去った後、疲れきったオスヴァルが火災現場から帰ってきて、レジーネに愛を打ち明ける。

夫人は遂に過去の秘密を打ち明ける。真実を知ったレジーネは我に返ると態度を一変する。

自分の母親がそういう女だったことに愕然としながらも、自分もその血を受けついでいることを悟り、「貧しい娘は若いうちが花」と言って、金持ちの男を見つけるために、こんな田舎は出ると言う。

もしダメなら船乗りの宿に戻り、船乗り相手の女になる、と言い、「クソ食らえ」と罵り屋敷を出る。

二人きりになった邸、オスヴァルは自分の病が脳にまで来ていることを打ち明ける。

そして今度発作が起きたらもう望みはない、

そのときはモルヒネを致死量分打って、自分を始末して欲しいと母に頼む。レジーネならそれが出来たと言う。

母はそんなことは絶対に出来ないと叫ぶ。

その時、発作が彼を襲う、半狂乱になる母親、

恍惚となった息子を前にし、母親はモルヒネを手にするが、それ以上手を下すことはできず、呆然と立ちすくむ。

無表情となったオスヴァルが「太陽、太陽」と呟く

幕。


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前作の人形の家は、妻が夫を捨てて家庭を出て行く話だが、

今回は「妻と夫」、「母親と息子」と言う二つの関係が交差する家族劇で、

夫人はこの二つの関係から一度逃げたものの、再び引き戻されると、もはや逃げ出すことが出来なくなった。

そして父なき家族のその後の姿は、神なき社会の姿の象徴とも捉えることもできよう。

一昔前、エイズが世界中で話題になったとき、エイズとは神が下した天罰だと考える人が日本でもかなり沢山いたように思う。

世はバブルの真っ最中だったし、人々は浮かれ、生活は淫れていた。


梅毒の問題も、当時はセンセーショナルな問題だったことは容易に想像できる。

余談だが、エイズが初めて確認されたのが、確か1980年代初頭だったと記憶するが、イプセンの時代にはやはり存在していなかったのであろうか?


それにしても衝撃のラストだ。

まるでユージンオニールやテネシーウイリアムズを彷彿とさせる、


是非とも舞台で観てみたい作品だ。