岸恵子、夏目雅子、黒木瞳、宮沢りえ…。織田信長の妹、お市をドラマで演じた女優たちは、当時の文献に「東国一の美人」とうたわれた美貌(びぼう)にふさわしい顔ぶれが並ぶ。2度の政略結婚の末、最後は夫婦で心中する短い生涯は人々の琴線に触れ、悲劇のヒロインとして映る。一方で、嫁ぎ先を裏切って信長の窮地を救う見事な「スパイ」っぷりをうかがわせる逸話も残り、戦国のマタ・ハリとしての一面も。美人すぎる戦国の女の実像とは。(渡部圭介)

 風にたなびく、さらっとした肌触りの布「楊柳」に例えられたり、30代半ばというのに20歳代に見られたり。織田家の血筋は美男美女が多く、お市の美女伝説は疑いようがないのだが、当時の文献にお市に関する記述は少ない。

 誕生も天文16(1547)年が通説だが、裏付ける史料はない。浅井長政との結婚時期も数々の説があり、最古は永禄2(1559)年説。最新の永禄11年説であればお市は20歳すぎで、当時としては晩婚だったことになる。

 政略結婚とはいえ、長政との生活はラブラブで子宝にも恵まれた。中でも後に豊臣秀吉の妻となる長女の茶茶(淀君)、次女の初、三女で徳川幕府2代将軍秀忠の妻・江は美人3姉妹としても知られる。

 長政は天正元(1573)年に信長に攻められ自害。お市は死を共にする覚悟だったが、長政や信長の説得で織田家に戻った。天正10年に柴田勝家と再婚したが、勝家も翌年の賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れる。お市は燃える北ノ庄城で夫とともに自害した。

 お市を語る上で、欠かせないエピソードが「袋の小豆」だ。

 時は元亀元(1570)年。京都をたった織田信長軍は敵対する朝倉家の征討に向かった。3万の大軍で朝倉方の城を次々と落とし、いよいよ朝倉家の拠点・一乗谷に迫ろうかというとき、陣中にお市からの使者が到着し、信長に小豆を詰めた袋を手渡した。

 「小豆がゆで出陣の疲れを癒されよ、と申しておりました」と、お市からのメッセージを伝えた使者。それを聞いた家臣たちは「さすがは兄思いのお市様」とほほえんだが、両端をひもできつく縛っている袋を見て、信長は鬼気とした表情を見せる。「そのような生ぬるい話ではない」

 小豆は織田軍を意味し、両端を縛るひもは朝倉、浅井両軍の挟み撃ちを暗示していた。つまり、お市は織田家と同盟関係の浅井家の寝返りを伝えたのだ。

 背後を浅井軍に突かれれば織田軍は壊滅する。信長は慌てて帰京したのだが、京都に着いたときは従者は10人程度だったという。

 寝返りを直接的な言葉で伝えなかったところがミソ。兄の命を守りたい。でも、愛する夫の長政の顔に泥を塗るわけにもいかない。お市の行為は浅井、織田家の間で揺れる心が読み取れる、という美談だ。

 しかし結果論で見ると、信長が生き延びたことで浅井家は信長に攻められ、居城・小谷城もろとも滅ぶ。夫の身になって考えれば、「なんて余計なことをしてくれたんだ」と愚痴もこぼしたくなるのでは?

 「『運のいい男よ、信長は』 夫(長政)の言葉に、お市はすべてを理解した。彼は信長の北陸の陣営に贈った小豆の袋の謎を、やっぱり見ぬいていたのである」(永井路子著『流星-お市の方』)

 兄思いの妻の心中を察し、「内通」を見過ごしていた。長政は深い懐で妻の行為を許し、罪悪感を和らげてやったのだ。

 信長の右筆ともいわれる太田牛一が記した『信長公記』は信長の生涯を今に伝える一級品の史料だが、信長の撤退を伝える記述でお市の功績は出てこない。この美談は近世の軍記物のみに記され、作り話というのが定説だ。

 永井路子氏自身、NHKの番組で「ほんとうにあった話かどうかはわかりません」と指摘している(『日本史探訪第4集』)。しかし、美談を生んだ背景として「お市がかなり両国の平和について、心を砕いていたということの現われじゃないかと思います」とも付け加えている。

 平和を愛しながら、お市の最期は悲劇的だ。戦火の炎に包まれる城の中で、夫・勝家の説得にもかかわらず心中する道を選んだ。美談がウソであろうとも、2度も政略結婚を強いられ、時代に翻弄(ほんろう)され続けた人生は悲劇のヒロインとしての評価を不動のものにした。

 悲劇の生涯に熱くなる目頭を冷ましてみたい。

 政略結婚という言葉は女性を人質として考えたと取られがちだが、重い使命を負っていた。突然孤立無援の地に送り込まれても嫁ぎ先で笑顔を振りまき、両家の関係を取り持つ。一方で情報収集を怠らず、実家がピンチになるような動きがあれば、それを伝えなくてはならない。

 親族の女性を片っ端から、ライバルの家に送り込んでいたわけではない。それなりの勘の鋭さが必要だった。勘の鈍い女性を送り込み情報戦で負ければ、自らの命にかかわる。ましてや、交通の要衝であった近江の武将に嫁がせるとなれば、相当の才覚が求められたのだろう。

 戦国時代というと武将=男たちのドラマばかりに目が行きがちだが、女性も国を守るために命をかけて戦っていた。国を背負って外国へ行く「外交官」のようだと語った永井氏の例えが、お市に合うぴったりな称号だと思う。

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