今日は私が愛してやまない声優の1人・

置鮎龍太郎さんの誕生日です!

 

おめでとうございます!

 

 

 

 

置鮎龍太郎さんは1969年11月17日生まれ、蠍座のO型。
 

生まれは福岡県北九州市、育ちは大阪府大阪市住之江区で、所属事務所は青二プロダクションとなっております。

妻は同じく声優の前田愛さん(AiM名義で歌手としても活動)、元妻はこちらも同じく声優の永澤菜教(旧:長沢直美)さんです。

 

 

 

 

福岡県北九州市に生まれ、小学校3年生の時に親の仕事の都合で大阪府に転居し、大阪府大阪市住之江区にある南港ポートタウンに住んでいた置鮎さん。

父親は置鮎さんが生まれる前に映画会社の東映の広報部に勤めていた時期があり、昔の同僚からアニメのポスターやセル画をもらってくる事があった環境から1つ年上の姉とともにアニメが好きで、劇場用アニメのレコードやドラマなどをよく一緒に聞いたそうです。

TVアニメでは『伝説巨神イデオン』が好きでその頃から演者も気になっていたといい、『伝説巨神イデオン』を見てゾクゾクとした経験を覚えており、職業を決めようという時に「声優?」と思ったのかもしれないといいます。

 

姉はアニメに関わっていた時期もあるほど絵の分野で長けていましたが、置鮎さんは絵を描く事よりキャラクターの声真似で遊ぶ事に楽しさを見出し「台詞をしゃべることがおもしろいことだ」と感じるようになります。

 

大阪市立南港光小学校、大阪市立南港北中学校を経て大阪府立阿倍野高等学校進学後の高校1年生の頃に「声優をやってみたい」と考え始め、養成所の資料を取り寄せたりするようになりました。

 

しかし経済面から卒業後にしようと思い高校時代はお金を貯めるためにアルバイトを始めますが他の事にお金を使ってしまったため、結局親から借りて養成所に通うことになりました。

 

親からは大学に行く事を勧められましたが目的がなかったため養成所に行く事を決めていました。

 

当時大阪にはほとんど養成所がなかった中でオーディションを受け青二塾大阪校に入塾し、塾内選考の結果青二プロダクションのオーディションに合格し、大阪から上京しました(合格通知を貰った時は泣いたといいます)。

 

上京当初は東京にいた従兄弟の所に上がり込んで部屋を探していたそうで、当時は青山の銀座ルノアールでアルバイトをしつつ従兄弟がいた設計関係の会社で雑用のアルバイトを並行していました。

予備校のラジオCM及び花の万博会場を徘徊するリモコンロボの声が声優として初めての仕事で、1989年放送開始の『ドラゴンクエスト』のリリパット役で声優デビューを果たしました。

1991年放送開始のTVアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のフランツ・ハイネル役でTVアニメ初レギュラーとなり、同年発売のOVA『ダークキャット』の影崎標意役で初主演を飾り、後に5年後の1996年に『地獄先生ぬ〜べ〜』の鵺野鳴介(ぬ〜べ〜)役でTVアニメ初主演を果たしました。

 



ぬ〜べ〜は当時の「集大成の役」であり「目いっぱい自分を出せた役」そして「自分と年齢が近く自然に演じられた」と語っており、終わると聞いた時は泣いてしまったそうです。

 

その後『機動戦艦ナデシコ』のZMAP(伊藤健太郎さん、真殿光昭さん、川上とも子さん、南央美さんとのユニット)や『卒業M』のE.M.U(石川英郎さん、神奈延年さん、阪口大助さん、緑川光さんとのユニット)、『テニスの王子様』の青酢(甲斐田ゆきさん、近藤孝行さん、皆川純子さんとのユニット)や眼鏡's(木内秀信さん、津田健次郎さんとのユニット)、GIGS(皆川純子さん、諏訪部順一さん、楠大典さんとのユニット)やイケメン侍(皆川純子さん、諏訪部順一さん、永井幸子さん、楠大典さん、新垣樽助さん、細谷佳正さんとのユニット)など出演作品関連のユニットに数多く参加し一躍人気声優となりました。

 

演じるのが難しいキャラクターは台詞の量が少ない役は難しく、少ない台詞の中から細かいニュアンスを汲み取って表現しなければならず「あの意味深な台詞はこれがあったからか!」「あの表情と仕草にこんな秘密が隠されてたのか」と思う一方、台詞が多いキャラクターは思いをほぼ全て台詞で語ってくれる事から演じる側としても表現がしやすいといいます。

『ママレード・ボーイ』の松浦遊役を演じていた事がきっかけでTVアニメ『SLAM DUNK』では三井寿役に起用されるも当初は作品自体の『SLAM DUNK』は無知だったといいます(2015年時点では三井を演じていたおかげで若手同業者から「観てました」と言われる事も多いといいます)。

ここ数年は『戦国BASARA弐』の豊臣秀吉役や『トリコ』のトリコ役などのごつい系の役を演じることが多くなり、鍛え抜かれた役を初めて演じていた時は「どうしてこの役を自分に?」「そういう役に定評があるわけでもないのになぜだろ?」と謎だったといいます。

2016年から劇団ヘロヘロQカムパニーのメンバーとして舞台俳優としても活動するようになり、2023年には第17回声優アワードで助演声優賞を受賞しました。