今日は私が愛してやまない声優の1人・
子安武人さんの誕生日です!

おめでとうございます!

子安武人さんは1967年5月5日生まれ、牡牛座のA型。

神奈川県横浜市出身で、所属事務所はティーズファクトリー及び同社の代表取締役を務めています。

中学3年生くらいからスクリーン俳優志望で、学校も行かずに毎日見るほどの映画好きだった子安さん。

中学時代に役者になろうと演劇学校に入学しようとしましたが、親に「高校ぐらいには行け」と言われ高校は男子校に進学します。

その後、偶然見た『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』の星野鉄郎が旅立つ前のシーンで名もない兵士達が鉄郎を999に乗せて旅立たせる場面に感銘を受け、凄く奥行を感じて立体的に見えたと感じ、「あ、面白い役者がいるんだな。声だけの役者っているんだ」と見つけて「面白いかもしれない」と思った事から声優に興味を持つようになり(それ以来は自分のポリシーに)、最終的に「立体的な芝居」を目指すところになりました。

高校時代でも演劇部・放送部に所属しておらず、なんでも吸収できるようなまっさらな状態で養成所に行きたくて卒業するまではただの一般学生だったそうです。

「高校卒業したら養成所に入る」という約束でしたがどうしても我慢できず、親には内緒で高校3年生の時にぷろだくしょんバオバブが経営する養成所・バオバブ学園(現:ビジュアル・スペース俳優養成所)に入所します。

初企業用ナレーション、ラジオ用ナレーション、ラジオ用CMナレーションが初仕事で、1988年に『どんどんドメルとロン』で声優デビューし、1989年には『アニメ三銃士』のフランソワ役で初めて名前付きの役、同年に『天空戦記シュラト』の夜叉王ガイ役で初のレギュラー出演を果たしました。

夜叉王ガイはレギュラーキャラクターでありながら物語中内面がほとんど語られない悪役ポジションだったため、子安さんはなかなか役が掴めず一つの台詞で数十回のリテイクを出したそうで、本人は当時を「声優としての知名度は上がったが、不完全燃焼だった」と後に語っています。


1990年発売のOVA『アリーズ』では雑誌の読者投票で子安さんが主役のハデス役で最多票を獲得しますが、当時の声優業界ではまだ無名に等しく制作関係者からは新人に主役を任せる事への不安の声が上がった事から採用が却下され、ハデスの部下役で出番の少ないミノース役を担当しました。

同年の『楽しいムーミン一家』では人気キャラクター・スナフキンを演じましたが声質にこだわり過ぎて無理に声を作ってしまいその喋り方をしないとスナフキンにならなくて苦労することになったため、回を重ねるごとに地の声に近づくよう、少しずつ軌道修正していったそうです。

1992年放送開始の『宇宙の騎士テッカマンブレード』では主人公・Dボゥイ(声:森川智之さん)のライバル・テッカマンエビル(相羽シンヤ)を担当し、自身も「一番好きなキャラである」とインタビューなどで度々語っています。

演技に伸び悩む時期が続いていた子安さんが声優生命を賭けて演じ切り結果として立ち直るきっかけとなったキャラで、演じていた頃は「俺ってめっちゃくちゃすげぇな」と思っていましたが後年ビデオで見返した際は「下手くそだな」と「それだけ進歩してるってことかな?」と話しています。

悪役を演じる事自体は好きであり「なぜ「彼は悪になったのか」と言う理由が物語上、テイストとして付いてきて、何かを背負って生きている感じで、その深みに惹かれるんです」と本人は語っています。

そして1998年、自身が原案を手がけたメディアミックス作品『ヴァイスクロイツ』の藤宮蘭/アヤで念願のアニメ初主演を果たしました。


更に『ヴァイスクロイツ』から誕生した声優ユニット「ヴァイス」を結成し、男性声優として初めて声優雑誌の表紙に登場、声優として初めてMVも制作するなど声優としての一世を風靡しました(現在は「充電」と称した無期限の活動休止中)。


1993年放送開始『機動戦士Vガンダム』でガンダムシリーズに初出演して以降多数のガンダムシリーズに出演するようになり、2024年現在、出演声優では最多となる10作品(名前のあるセミレギュラーを含める)出演しています。


その中でも最も代表的なキャラとして1995年放送開始『新機動戦記ガンダムW』のゼクス・マーキス/ミリアルド・ピースクラフト、1999年放送開始『∀ガンダム』ではそれまでの「子安が担当する悪役=クールな二枚目」というイメージを大きく逸脱したギム・ギンガナム役、2002年放送開始『機動戦士ガンダムSEED』のムウ・ラ・フラガなどが挙げられます。

また、2002年放送開始『キングゲイナー』(上記の『∀ガンダム』と同じく富野由悠季監督作品)のアスハム・ブーン役ではあまりに演技に熱を入れ過ぎ、過呼吸を起こした事もあるそうです。

1998年、長らく所属していたぷろだくしょんバオバブを退所し、自身が代表を務める事務所・ティーズファクトリーを設立します(2020年5月5日、誕生日に合わせてティーズファクトリーの公式サイト及び公式Twitterアカウントを開設し、同時にプロフィールも公開されました)。

2020年に『デュエル・マスターズ』のPR動画にて息子で同じく声優の子安光樹と初共演を果たし、同年4月には親子でラジオ冠番組『武人・光樹のKOYASU RADIO』を放送開始しました。

1992年、ミニアルバム『Water』で歌手デビューし、2000年にはZAZEL名義でも音楽活動を開始しますが、翌年2001年に活動終了しました。

声優アワードでは2021年開催の第15回にて助演男優賞を受賞しています。



正統派から個性派まで、様々な悪役に定評のある大人気ベテラン声優さんです!