どーも!
『次の目標に向かって走り出すNo.1。』
と、前回の記事の締めに書いたはいいが、そんな簡単に目標なんて見つからないNo.1です。
さすがにね、次から次に走り出していたらオッサンは体力がもちません!
『走り出す』というワードで私の記憶の奥の引き出しからガタガタと音がするので引っ張り出したいと思います。
※自慢だったり思い出補正がかかり多少大げさな表現になっている場合がありますがご了承下さい。
私No.1、実はこう見えて小さい時からそこそこ運動神経には自信がありまして、
だいたいのスポーツはでき足も速く小さい頃は無敵状態でした。
小学校6年間、運動会の徒競走では負けなしの1位!
各学年から選抜されるリレーでは6年間選ばれ続けました!
と、
ここまで読めばトップアスリートだったり神童と呼ばれる人にありがちなお話ですが、
このお話の主人公はもちろん私。
決して文面にウソ偽りはないのですが…、
ん~、ざっくり言うと、
私は永遠の2番手。
この2番手っていうのも悟空とベジータの様なぶっちぎりの1番と2番、時には入れ替わるみたいな感じではなく、
トップと他はどんぐりの背比べ。
我がなんでもくらぶにも所属しているトミーズのせいで、私No.1やNo.11、No.13はどんぐり軍団に追いやられるはめに。
このトミーズはあの星稜高校野球部で4番を務め、
高校2年生の時にスポーツテストで、1つ先輩にあたるあの本田圭佑に勝つという化物なのだ。
こんな奴が幼稚園から一緒にいれば、私どもは小物軍団に分類されても仕方ない。
しかし、
どんぐり軍団の我々もトミーズがいなければトップ集団なわけで、
小学校5年生の時には希望者を募り市内の陸上大会に出てみれば、
100m走、決勝の8人中4人は我々だったりとポテンシャルの高さを発揮していた。
1000m走に関しては私No.1と現在は東京で頑張ってるNo.11は地区大会を通過し、県大会にも駒を進めている!
やはり我々はよそに行けばエース級なのだ!
と思ってたのですが…、
その県大会では…、
No.11→最下位。
No.1 →途中棄権。
井の中の蛙とは我々のこと。
この頃にはやっと自分は天才ではないのだなと思い知らされました。
ちなみにトミーズは100m、走り幅跳び共に優勝争いをしてました。
そして時は流れ、
中学校に入学しても我々のポテンシャルは群を抜いており、
地元じゃ負け知らず、そうだろ。
修二と彰ばりの、我々どんぐりエリート軍団にNo.18も加わり運動神経をいかんなく発揮していました。
その証拠にと言いますか、
我々の中学校には陸上部がなく、市の陸上大会には各部活から選抜された人で即席陸上部が結成されており、
もちろん私にも声がかかり、2枠しかない100mとリレーに選出されてます!
No.18は200mとリレー、
No.11は中距離に選出され個々の得意分野で活躍をしてます!
あれ…、No.13はどこに…。
そこにはあまり触れないでおきますか。
言わなくてもわかっていると思いますが、
我々どんぐり軍団の大会での成績は全体の中位ぐらい、
トミーズは優勝争いをしてました。
紅葉が色付き出す秋には駅伝大会にも選出され、
私No.1はキャプテンを務めさせていただきました!
ただ、
中学生だった事もあり、みんな身体が急成長!
未だに成長痛というものを体験した事のない私は急成長する事なくマイペース。
すると、
あれよあれよと言っている間にどんぐり軍団の中での順位争いが激しくなり、
私の駅伝のタイムが5位。
この駅伝は1チーム4人。
5位の私はまさかのBチーム。
しかも私キャプテンですよ?
キャプテンがBチームって…。
………。
なんかブログ書いてて情けなくなってきた…。
『走り出す』ってワードで、いろんな記憶がよみがえったのは良いが、
苦い思い出の方が多いではないか。
くそっ!嫌な事ばっかり思い出させやがって!
ん?何だこれは?
玄関のポストに何かある。
なんてタイミングだ…。
次の目標と過去の陸上競技での汚名返上ができる…。
今の私にとって大事なものが、しかも2つも同時に!
このチャンスは逃すまい。
グズグズしている暇はない!
さぁ、走り出せ!No.1!
ベジータになりたいNo.1