今回のまちを感じる板橋ひとり歩きは「舟渡編」です。

舟渡1丁目を歩いていたら草がボウボウですが、囲われ説明書きが掲げられた場所を見つけました。

「舟渡の板碑」です。今日は、ここから解説させて頂きます。

【舟渡の板碑】

ここで祀られている石造物は、鎌倉時代から室町時代末にかけて親や自身の死後の供養(逆修)のために造立された石製の供養塔で「板碑」と呼ばれています。

一般的に板御の表面には、仏を表す梵字(種子)や被供養者名、供養年月日、供養内容が刻まれています。

旧武蔵国(東京・埼玉・神奈川の一部)で分布するものは、荒川上流で産出する緑泥片岩(秩父青石)を板状に加工し、その最上部を山形に成形し、二条線を施す特徴があり、武蔵型と呼ばれています。

ここの板碑は、周辺にあったものを集めてお祀りしたもので、破片を合わせて十基あります。

そのうちの四基は、文明九年(一四七七)、文明十七年(一四八五)、明応五年(一四九六)、大永年間(一五二一~二七)の年号が確認できます。

舟渡一~三丁目には舟渡遺跡があり、近年の発堀により古墳時代から中世にかけての遺構や遺物が出土していますので、ここの板御も舟渡遺跡に由来するものと考えられます。

なお、最近までここの板碑が「はしか」の平癒に霊験あると信じられていました。

この貴重な板碑この様に荒れてしまっています。早速、教育委員会に綺麗に整備する様に指示します。

 

次にご紹介させて頂くのは「十度ノ宮(じゅうどのみや)」です。

【十度ノ宮】

板橋区舟渡二丁目18番地にある舟渡氷川神社に「十度ノ宮」は祀られています。

このお宮は、今から二百年以上前に書かれた『新編武蔵風土記(しんぺんむさしふどき)』という資料に、「このお宮は、昔から蓮沼村の西南にあったが、何度もの洪水で押流(おしなが)されて、今の場所に流寄(ながれよ)せられることが十度にも及んだので、ここに塚を築き、榎(えのき)を植えて神社とした。地域の人は今でも「十度ノ宮」と呼んでいる」と記されており、当時から広く知られたお宮でした。

その形は、笠がついた石の祠(ほこら)で、正面に「奉修造立氷川大明神御宝前(ごほうぜん)」、左面に「万治(まんじ)二己(き)亥(がい)年六月十五日」、右面に「寛保(かんぽう)三癸(き)亥(がい)年十二月吉日 武刕豊島郡(ぶしゅうとしまのこおり)蓮沼村(はすぬまむら) 別当(べっとう)金剛院(こんごういん)」の文字がそれぞれ彫られています。この文字により1659年(万治二年)には少なくとも「十度ノ宮」が祀られていたことがわかります。

 「十度ノ宮」は、洪水によって歴史資料がほとんどない舟渡地域に今も残っている貴重な資料であり、自然災害とともに生きてきた人々と、その歴史を後世に伝えることができる重要な資料です。

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