こんにちは。りょうきです。
この火曜日でしたっけ。天皇即位の礼がありました。
その瞬間に雨が止んで青空が出ましたが、そういう話はちょっと置いといて。
現在の上皇陛下の退位の礼の時にも思ったんですが、この度やっと自分の中でまとまったことがあるんですよ。
あ、右とか左とかそういう話にはなりません。ご心配なく。
運命の人の話です。
いつぞやも書いた気がしますが、結論から言うと、運命の人ってのは結果論です。
結果論であることに加えて、なんていうか、それぞれの務めが必要というか。
例えば、この国には天皇が存在します。
もうシステム上そうなっているから、国民が選ぶことはできないし、その立場に生まれたなら必ず天皇にならなきゃいけない。誰の判断も介在させることなく、天皇と国民が相対するわけですよ。
このシステムは、小学校とかの新学年と同じです。
児童が新しい先生を選んだわけでもなく、教諭が特定の児童達を集めてクラスを作ったわけでもない。4月の始業式で、お互いに「はじめまして」です。
この春に上皇陛下は退位されたわけですが、その時のお言葉を聞いた私は、ちょっと涙がね。
これは何の涙なんだろうと思ってたんですけど、どうやら離任式でのそれに近いようです。
現在の上皇陛下は、30年ほど前に天皇になってしまった。
「私がなりたい」は、なかった。「この人がいい」も、なかった。
とにかくそのお方が天皇に即位されて、国民にいわば与えられた。
それを、お互いが「よろしくお願いします」と受け入れ、陛下は陛下のお務めを果たされ、国民はそれを支持というかお手伝いというか、国民の務めを果たしたわけです。
だから、実は構造上まことにシンプルです。
初対面の2人が、ポンとそれぞれの目の前に置かれ、それぞれがそれぞれの務めを果たす。
天皇と国民の関係が、政治家と国民の関係と決定的に違うのが、この点だと思います。
で、上皇陛下は大変ご立派にお務めを果たされて、それを見る国民が、日本国民としてすべきことをちょっとずつでも行ってきたわけですよ。
国民としてって仰々しいけど、税金払うとか、ゴミは決まった日に出すとか、選挙に行くとか、要するに国内の秩序を保つための小さな無数のルールをちゃんと守って生きることが、国民の仕事です。
その結果として、とりあえず平成では、我々は平和な国で生きてこられた。
平成が平和であったのは、それぞれのおかげだと思います。天皇と、国民と。
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
(2018年12月22日・お誕生日前の会見)
このお言葉は、私はそのように解釈しています。
これは、国家としては大変稀有なことでもありそうです。
選挙が介在せず、どちらが選んだわけでもない人物同士で、とりあえず国家の安寧を目指してそれぞれの務めを果たして、事実、立派に安寧を保つ。
もちろん日本だけではないんでしょうけど、でもこの仕組みで国を成り立たせようとすると、それぞれが極端に徳が高くないといけないというか、民主主義とはちょっと違う次元の別な何かを持ち合わせていないと成立しないんじゃないですかね。
4月に先生と生徒が「はじめまして」からの、先生は先生の仕事をして、生徒は生徒の仕事をした結果、大変良き1年となった。
その3月の手前で「みんなが1年間ちゃんと学校に通えてくれてよかった」と先生はおっしゃって、そして3月に;
「即位から30年,これまでの天皇としての務めを,国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは,幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ,支えてくれた国民に,心から感謝します。」
(2019年4月30日・退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば)
で、結果としてまことに良き1年、もとい平和な30年であったと。
そりゃ、ちょっと涙も出るって(笑)。
これ、もうちょっと続けます。
良き1週間をどうぞ(^^)