おはようございます。りょうきです。
特殊講義の続き、始めます。
印の話。手で結ぶ印です。
神道なら十種神宝(とくさのかんだから)とか、仏教でも特に密教なら仏様ごとに印がたくさんあります。
早九字を切ったりぱっぱっと使いこなせると、厨二病患者が泣いて喜びますね(笑)。
結論から言うと、印は認められて使うものです。
例えば密教の場合だと、仏様ごとに印がいろいろあるわけですが。
例えば不動明王印にしましょうか。人差し指を合わせて立てるやつ。
不動明王印を使う場合、不動明王様に認めてもらうというか。
仏縁というんですが、何かしら不動明王様に明らかなご縁があって初めて使える。
もちろん目の前に不動明王様がでーんと登場されて「使ってよし」じゃなくて。
誰かしら生身の人間を通して、その人から伝授される感じです。
密教の場合だと、すべて口伝なんです。本を読んで誰でも学べるわけではない。
師匠がいて、その師匠から認められて印やらなんやらを伝授される。
伝わり方がクローズなんですね。だから密。
印はものによっては武器にもなります。九字を切る刀剣印とか特に。
だから、こいつに武器をもたせても大丈夫かという判断を、誰かがしないといけない。
それが例えば密教僧なら師僧なんですよ。
したがって、このブログであれこれと印を紹介するのは期待なさらずにですね(笑)。
しかしせっかくなので、3つほど印を紹介します。
武器にはなりません。だから安全です。誰でも使えます。
一つ目。合掌です。いわゆる普通の合掌。これも立派な印です。
正確には堅実心合掌といいます。
普通の合掌でも、意味を知って手を合わせれば、完全な印になります。
まずね、「左手が自分たち人間、右手が仏様」です。
合掌すると、自分の隣に仏様が来ることになるでしょう。
だから仏様とかご先祖を念じて合掌すると、「どうぞお近くにいてください」「一緒にいてください」の意味になります。「仏様がお近くにいる」にもなるかもね。
二つ目も合掌です。真言宗のものですが、金剛合掌といいます。
普通の合掌から、右手を指一本分上にずらして、左右の指が互い違いになるように合掌します。
右が上です。仏様が上。
自分と仏様の区別が曖昧になりましたね。人間である自分と、仏様が混じり合う。
「私は仏だ」は大変おこがましいですが、真言宗は即身成仏ですので。
つまり、生きながらにしてあなたは仏になれる、と。
もっと簡単に言うと、普段の生活で仏様のように慈悲深い動きができるだろう、と。
例えば徳の高い動きをした時とか、明らかに徳を積んだ時とか。
その時の締めでこの合掌をすると、自分のエネルギーみたいなのがガッと増える感じですね。
一瞬だけれども、あなたは仏になった。
この瞬間、変なものは寄せ付けない。
最後に一つ。蓮華合掌といいます。空心合掌ともいいます。
普通の合掌から、ぽかっと中を開けて手と手の間に空間を作ります。
水をすくう手の形に、親指2本で蓋をするかんじ。
中身が空っぽ。つまり芯が空。そこから転じて、心が空。空心合掌。
これは、「仏様にお任せします」の意味で用いられることが多いです。
自分でできることはやったとか、「あとはお任せします」ですね。
どういう時に使うかは、その時自分の感じる通りに使えばいい。
意味だけわかっておけば、必要な時に必要な形で合掌できます。
普段の生活でも使えますよ。
例えば試験直前は「どうぞ隣で見守ってください」の堅実心合掌。
終わったら、「あとは委ねます」の空心合掌。
なんかすごくいいことがあったら、よくわかんないけど金剛合掌。
たかが合掌と侮るなかれ。一番基本となる印です。
宗派による解釈の違いはありますが、まずはその意味を知ってから合掌。
そして印となったその手を、どんな場面で使うかを自分で感じ、考える。
ところで。
たまに生徒でもいるんですが、特定の印をなぜか知っている子。
あるいは特定の真言とか陀羅尼、神呪をなぜか知っている子。
聞けばそれはおうちの誰かに教わったとか、お坊さんが教えてくれたとか。
その印や真言等は、どうぞ、どうぞ大切になさったら。
経緯はそれぞれでしょうが、それを誰かに教わるということが、あなたがその印を契ぶことを上から認められたということじゃないですかね。
あるいはあなたに必要だったんですよ。だから教わった。
大変立派な、神縁・仏縁です。
どういう時に使うかは、セットで教わったか。
あるいはそれは教わっていなくても、必要な時は自然と手がそれを契ぶはず。
あるいは、その真言や神呪が自然と出るはず。
珍しいのを知ってる子とかいますよ。おじいさんに教えてもらったとか。
手遊びで契ぶのは違いますが、本当に必要な時は誰でもなんとなくわかるんでしょうね。
そうでなくとも、とりあえず意味を見出しておけば、今後の合掌時の気持ちが変わるかも。
それだけで十分です。
どうぞ良き一日を(^^)