三春城 | ニューハーフ水朝美樹(吉川未来)の ~乙女な内緒話~

三春城

昨日は雨の中をランニングして、

三春城跡を視察。🍁


田村義明が築城して、秋田氏が五万五千石で入城してそのまま
明治維新を迎えます。✨

 当時は本丸に表門や裏門・三階櫓などの建造物が置かれていましたが、
 明治初年に廃城となり、
建造物や石垣のほとんどがなくなっていました🥺

三春城跡は田村地方に位置していて、🍁
その美しい姿から舞城とも呼ばれていたそうな✨

調べてみると、南北朝時代には城館として機能していたようでござる。😀

田村氏は3代までで、一人娘の愛姫をさしだし、
伊達政宗が後見として宗齢を城主にします。

政宗はこの城を足掛かりにして南奥羽を制覇していきました。😀

 この間に堀や土塁、石積みが築かれていき、 三春城は仙道を代表する戦国の城となる。🏯

秀吉時代、奥羽仕置きにより田村氏は改易😥

会津に入った蒲生氏郷の領地に組み込まれ、会津若松城の支城に🤔

蒲生氏の重臣たちが城代を勤め、本丸周囲に石垣を築くなど、 城と城下町の整備を進めます✨

上杉景勝が会津藩主だった1601年前後は、三春城ではなく郡山の守山城が支城として使われていたようだ。🤔

江戸時代には秋田俊季が5万5千石で三春に入城。
明治維新まで秋田氏11代の居城となります🤔

戊辰戦争では、三春藩は図らずも奥羽越列藩同盟に加わりますが、

新政府軍の攻撃を受ける直前に、東北列藩を裏切り、無血開城を果たしました。😥

維新後は建物のみならず、石垣や礎石まで払い下げられてしまいます。🤔

天然の要害の地形だけがのこり、
かつての面影はなにもかんじられなかった。🍁

本丸には君臣が一堂に会する広間と台所、藩主の控え室となる御座間などがあったといいますから、

新政府からも徹底した破棄扱いを受けてきたようにもみえます。🥺

石垣をとりつぶすほどですから、新政府に随順をしめすためであったのだろうか。🤔

会津列藩からぬけだし、明治政府に舵をきった三春藩。

いまや人の気配もなく、山間部に囲まれた静寂な町。

田村高校の生徒だけが歩いていました。🤔

会津のような明治維新の面影など、ここ三春には微塵も感じない。
むしろ江戸時代からを、ひっそりと生き続けてきた静けさというべきか。🤔

三春には、世界一の樹齢1000年の滝桜や、江戸時代からのデコ屋敷がある。

時代を生き抜くすべを、自然界も宿しているのやもしれませぬなぁ✨😌

さあ、今日も1日がんばっていきましょうね🍁🎑🎃🌾🍁