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レッツ!!ビバの道

陰の氣を操る古式マスターヨーガと、陽の氣を操る武当派太極内丹法の修行をしています。

陰の呼吸で、3・4・5番に氣を通していくと、ちょうど「鳩尾」の部分でズキズキと痛むことがある

鳩尾のあたりに、ポコポコと気泡の様なものが上がってくる
この気泡は「思いが湧き出てくるもの」だから、上がってくるのは分かるが、なぜか鳩尾だけ痛むのだ
師匠によると、魂に触れることが出来る様になってきたからで「軟らかい豆腐にそっと触れる様に」って事らしく、要するに今までの呼吸ではまだまだ「扱い方が荒い」のだ
行では、初期の頃にドリャ~!と氣力を高める
陰に火をつけ、焼きを入れて陽をさらに養生する
同じ様にまた陰を養生してくと、次の段階で「とろ火」の調節をする

例えば、「焼き芋」を作りたい場合、現代の調理器具には火加減の調節機能は必ずついていて、摘まみやボタンで設定すれば勝手に調節してくれる
調節が出来ないと、ついたばかりの火がすぐに消えてしまったり、逆に大火事になる

調理器具がない時どうやって作る?ってなると、落ち葉や枯れ枝で「焚き火」をして最初にゴォー!と燃やしてから残り火で焼き芋をする
火を大きく起こしてから、焼き芋に適した「ちょうど良い加減」になるように棒などで火をかいて調節するのだ
一番初めの「消えそうな小さな火」では不安定で、効果も維持できないから、大きくしてから自分で小さく調節する
(微妙な火加減を自分で調節できる)

「明確」に、はっきりとした動作で呼吸していた練習を、文息、胎息にして傍目からはわからない呼吸にする
「荒い」ままでは拾えない微細なものを拾うには、「微細」の域に調節する必要がある
文息は、普段の生活で家事をしたりボーッとしている時に、通常の呼吸として使うといい
体で覚えてしまえば、大きな火から小さな火まで用途に合わせて使い分けができる「自動火加減装置」ってことだ

この呼吸をしていて、突然「お知らせ」がきた
私が勝手にお知らせと呼んでいるのだが、意識レベルが切り替わる合図で、質問に対しての「答え」みたいなものだ

この「お知らせ」は、意識がなくなりそうになる
ここで「とろ火の加減調節」が必要で、調節に失敗すると日常の意識レベルに戻ってしまう

レベルを調節して合わせると、私の感覚では、すり鉢状の「アリ地獄」のような入口から意識がゆっくりと沈み込んでいく感じ(この時も調節しながら)

沈んでいく方に意識は向けずに(勝手に沈んでいくから)、調節の仕方に重点をおいて感覚で覚えるようにするといい
読み取るための6番の調節ってことだ

鳩尾に湧き出てくる「ポコポコ」についてだが、意識レベルを合わせると、髪の長い女性を見た
奴隷の身分で、ある事で主(男)の怒りを買ってしまい、ナイフのような物で鳩尾をザクッと刺されていた
意識の中でその女性と私は同化して、地面に這いつくばって泣き叫び、「悔しい」「悲しい」と理不尽さに怒っていた
(この辺は詳しく書いても仕様がないので省く)

私の中にある男性に対する「思い癖」とも一致する部分があるので、なるほどと思い納得した



以前こんな実験をみた
観光名所などにいる野生ザルと観光客を観察したものだった

・観光客のレジ袋(土産物など)を我が物顔で奪い取ったり、噛みついたりするのは何故か?
・持っている物を奪われる人(襲われる)と、物を奪われない人(襲われない)に分かれるが、その違いは何か?

って事を検証していた

まず初めに、「男女の違い」を見分けているのではないか?と言う仮説を検証

・スカートをはいた長髪の女性がレジ袋を持ってサルの前に立つ
→サルにレジ袋を奪われる

・短髪でズボンをはいた男性がレジ袋を持ってサルの前に立つ
→レジ袋は奪われない(サルはおとなしくしていた)

次に、服装を入れかえる

・短髪の女性が男装してサルの前に立つ
→奪われる

・長髪の男性が女装して、サルの前に立つ
→奪われない

結果、男女の見た目の違いで判断しているわけではないと分かり、どこで判断しているか?をさらに観察していくと、「奪われる人」は共通したある「仕草」をしていることが分かった

サルとの「ファーストコンタクト」で、サルは牙を見せながら一瞬だけ飛びかかろうとする様な、軽い「威嚇」を見せる

それを見て、体をこわばらせたり、身じろぎをほんの一瞬でもしてしまったら、そこで「力関係」が決まってしまうようだ
軽い威嚇で、うろたえてビビった一瞬をサルは見逃さないのだ
(ビビらず、身じろぎせずにいた人は襲われなかった)

長髪で女装した男性が、わざと「身じろぐ仕草」をする実験や、女性が威嚇されても微動だにしない場合の実験など、男女、服装、仕草を入れ換えた全てのパターンの実験結果から、サルは威嚇した時の「反応の仕方」を見ていると実証していた

これは人間関係も同じ
サルを馬鹿にするわけではないが、職場や学校でもこんな輩はいる
「コイツは自分よりも弱そうだな」と嗅ぎ分け、「えじき」を見つけるのがうまいのだ

初期の人間関係において優位に立ちたい「小者」で、周囲の人に手当たり次第小さな威嚇をしたり親切なふりをして、そこで自分より強いか弱いかを篩にかけている

話は変わるが、「罪悪感を持っているとそこを利用される」ってよく見かける
罪悪感ってのは「自分に悪い点があり後ろめたい・やましい」って事だけど、それが「弱み」になっていて、弱いと自分で思い込んでいるから突っ込まれるのだ
篩にかけられ「自分より弱い」と判断されたから、小者が調子に乗ってマウンティングして優位性を示すことに利用されるのだ
(誤解のないよう何度も書くが、サルをバカにしているわけではないが)サルのマウンティングと同類の行為に「付き合わされている」と分かれば、罪悪感うんぬん以前に、こんなアホらしいことってないでしょ

もう一つ、
奈良公園の鹿は、腰の引けた観光客が鹿煎餅を持っていると、周りをとり囲んで頭突きをかましてきたりするが、鹿煎餅を売っているおばちゃんの店は襲わない
「襲わない」と言うより、おばちゃんと鹿の攻防があるのだ
店のおばちゃんは煎餅を盗もうとした鹿を「棒で叩く(教育」からで、鹿はおばちゃんの強さ(恐さ)を知っているからだ
(気が弱そうな気迫がないおばちゃんの店は狙われ煎餅を奪われる)

前回のブログにも関連があるが、私はどんな物事でも「やると決めたのであれば進むしかない」と思っている
(Aさんへのメールもその様な内容を送った)

それが最善なんだと言うことは、「見渡す」位置からみればしっかりとした確信を得られるからで、ちゃんと自分の判断基準を持っているからだ

判断基準を持っていない人は、周りからの反対や横槍、誹謗中傷に負けてしまう
そしてその方向に引っ張られて同じ土俵にあがって自分を分かって貰おうとする
その時点で、「相手に分からせたい、自分を良いように見せたい」と躍起になる
それはもう議論ではなくなっている

自分は「こうだ」「こうするのだ」と主張し、それでもゴチャゴチャ言ってくる奴はもうほっとけばいい

自分のやることは、自分が決めて、自分で自分を「認めている」のだから、周りに認めてもらおうとする必要はない


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(現在、「陰」強化中なので、「陰」気質になります。性格や雰囲気等、陰と陽とでは変わります)

追記)
例えば、誰かに何かしてもらった場合、普段なら「ありがとう!」と素直に喜べるところを、無表情で「どうも…」みたいな、ごっつい冷めた心境になる
そう言う時は、「陰」を燃やして「陽」にする
行動に変換して「陽」にする
あと、笑わなくなるので「愛想笑い」くらいはしといた方がいい