日本橋から歩く『大山詣』を振り返って ④ 渡辺崋山『游相日記』 お銀さま 厚木六勝 『花の生涯』 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

一人、"地下鉄の地上を歩く会"

山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

天保2年(1831)9月20日に江戸の青山を立った渡辺崋山は荏田宿桝屋に泊まり、翌日は下鶴間宿のまんじゅうやに泊まります。

 

 

 

お銀さまの家は、JAさがみ早園支店(神奈川県瀬市小園24−1)になっています。

 

 

 

この近くにお銀さまのお墓はありました。

『 お銀さまは本名を「まち」といい、早川村の佐藤家に生まれました。後に江戸の田原藩下屋敷に奉公に出て藩主三宅康友の寵を受け、友信を生みましたが母の急死で帰郷し、その後小園村の大川家に嫁ぎました。(綾瀬市教育委員会) 』

 

 

 

三宅康友に仕えていた崋山は、康友の死後はお銀さまが生んだ友信に仕えていました。友信の意をくみ、天保2年(1832)、弟子の高木梧庵を連れてお銀さまを探しに旅立ったのでした。その時のことが崋山による『游相日記』に綴られています。

 

 

 

畠堀操八講師のもと、『游相日記』を読みながら、お銀さまはどういう人だったのか、当時の女性はどのような立場だったのかなどと思いを巡らしました。

 

 

 

200年前の女性のお銀さま、幸せな一生だったのかしら。想像もつかないことです。

 

 

 

相模川をあゆみ橋で渡って厚木市に入りました。

川の土手上の東屋へ。厚木滞在中に描いた『厚木六勝』の複製画が飾られています。

 

 

 

崋山は田原藩士の家に生まれましたが、大変貧しく、長男として生計を助けるために得意の絵を売って生計を支えるようになります。

 

 

 

谷文晁にも入門し才能を開花させ、二十代半ばには画家として著名になり、生活に苦労せずにすむようになりました。(『鷹見泉石像』は現在国宝です)

 

 

 

渡辺崋山とは厚木市でお別れしました。崋山はこの後、藤沢市や横須賀市に回って帰ったようです。

 

 

 

2023年2月5日、NHKの大河ドラマ第1回から70年を記念して、第一作の『花の生涯』の第一話がカラー化して放送されました。

 

 

 

井伊直弼…尾上松緑(二代目)、村山たか…淡島千景、長野主膳…佐田啓二 等々素晴らしい出演者。実は今日もこの録画を見てしまいました。淡島千景のこんなに妖艶な美しさをもつ俳優さんは、今いるのかしら。

2023年の11月に彦根城を訪れ、埋木舎(うもれぎのや)も行っているので、初めてこの放送を見た時よりも今日のほうがよりよく分かりました。遊び歩いたおかげです。

 

 

 

渡辺崋山は画家として名を馳せたばかりなく、田原藩の家老となり、藩政改革や海防策等にも力を入れました。領民思いの家老でもあったようです。

ドラマは冒頭に高野長英の伝馬町の牢屋敷の場面(蛮社の獄)、渡辺崋山の自刃の場面等から展開していきます。すでに「桜田門外の変」を暗示する時代背景が描かれていました。

  (つづく)