理想のお母さんって・・その10 | 「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

アトピー&食物アレルギーを持つ子供を育てて30年が過ぎました。
夫と別居し、娘とふたり暮らしを楽しむため、見ないふりしてきためんどくさいことに向き合い始めてます。

すごく大きなことを言っているようですが、

 

人って、日々いろんなことと闘ってるんだと思うんです。

 

それは

目覚まし時計を壁に投げつけたい衝動だったり

朝の満員電車だったり

後ろから自分と同じペースで響くヒールの音だったり

 

これはちょっと、朝に集中した「闘い」ですけどね。

 

子供が小さければ、親である自分の闘いとして

それは学校に対してだったり

それは担任の先生に対してだったり

 

守るべきものが増えれば、闘うことも増えたりします。

 

うちの子供たちは、2人ともアレルギーとアトピーという体質を持っていたので、学校や担任の先生にいろいろとお願いをしなければ、学校生活を普通に送ることができなかったので、親として日々「闘う」ことが多かったのは事実です。

 

なぜ唐突に「闘い」について書いているかというと・・・

 

数週間前のことですが

うちの息子が少々やらかしましてね。

 

やらかし具合としては、彼のここまでの人生で一番ではないかと。

 

まぁ普通は、親としては怒る場面なんです。

息子を怒鳴りちらして、ごめんなさいを引き出せば

親として、何となく「責任は果たせた」気には、なるはずなんです。

 

帰宅した息子をぶん殴ってしまえば、私の気持ちはおさまったはずなんです。

 

でもね、私、そのとき、怒らなかったんです。

 

翌日、少しだけ話はしましたけど、怒りはしませんでした。

 

しゅんとして、小さくなった息子の

「反省します」

という小さな声を信じたわけじゃないけど

うん・・ね・・・。

 

そこから毎日、私は自分の気持ちと闘ってます。

 

あのとき

怒らなかった自分と

怒れなかった自分と

 

親として何を息子に言うべきだったのか

怒らず、何も言わないということは、親として無責任じゃないのか

 

日々ため息をつくほど、考えこんでるわけじゃないし

食欲がなくなるほど、悩んでるわけじゃないけど

 

常に、頭のどこかに息子のことがあります。

 

やらかした日から、だいぶ日にちは経ってますが

息子は、家であまり口をききません。

 

でも、娘とは話してるかな。。

 

これは、息子との闘いじゃなくて

自分との闘いということに、気づきました。

 

理想のお母さんって、どんなんでしょうね。

 

 

今日も読んでくださったみなさま、ありがとうございましたm(_ _ )m