すごく大きなことを言っているようですが、
人って、日々いろんなことと闘ってるんだと思うんです。
それは
目覚まし時計を壁に投げつけたい衝動だったり
朝の満員電車だったり
後ろから自分と同じペースで響くヒールの音だったり
これはちょっと、朝に集中した「闘い」ですけどね。
子供が小さければ、親である自分の闘いとして
それは学校に対してだったり
それは担任の先生に対してだったり
守るべきものが増えれば、闘うことも増えたりします。
うちの子供たちは、2人ともアレルギーとアトピーという体質を持っていたので、学校や担任の先生にいろいろとお願いをしなければ、学校生活を普通に送ることができなかったので、親として日々「闘う」ことが多かったのは事実です。
なぜ唐突に「闘い」について書いているかというと・・・
数週間前のことですが
うちの息子が少々やらかしましてね。
やらかし具合としては、彼のここまでの人生で一番ではないかと。
まぁ普通は、親としては怒る場面なんです。
息子を怒鳴りちらして、ごめんなさいを引き出せば
親として、何となく「責任は果たせた」気には、なるはずなんです。
帰宅した息子をぶん殴ってしまえば、私の気持ちはおさまったはずなんです。
でもね、私、そのとき、怒らなかったんです。
翌日、少しだけ話はしましたけど、怒りはしませんでした。
しゅんとして、小さくなった息子の
「反省します」
という小さな声を信じたわけじゃないけど
うん・・ね・・・。
そこから毎日、私は自分の気持ちと闘ってます。
あのとき
怒らなかった自分と
怒れなかった自分と
親として何を息子に言うべきだったのか
怒らず、何も言わないということは、親として無責任じゃないのか
日々ため息をつくほど、考えこんでるわけじゃないし
食欲がなくなるほど、悩んでるわけじゃないけど
常に、頭のどこかに息子のことがあります。
やらかした日から、だいぶ日にちは経ってますが
息子は、家であまり口をききません。
でも、娘とは話してるかな。。
これは、息子との闘いじゃなくて
自分との闘いということに、気づきました。
理想のお母さんって、どんなんでしょうね。
今日も読んでくださったみなさま、ありがとうございましたm(_ _ )m