寒い日が続いていますが、今日はふりそそぐ日射しに、とても温かなものを感じました。
12月2日~12月6日ごろ、七十二候では「橘始めて黄なり」といいます。
橘の実が、だんだんと黄色くなってくるころです。橘は冬でも青々とした常緑樹で、「永遠」を意味するとされ、不老不死の実だといわれていたそうです。万葉集にも登場します。
~橘は 実さへ花さへ その葉さへ
枝に霜降れど いや常葉の木~
聖武天皇が詠まれた歌です。「橘は、実や花やその葉もすばらしいものですが、枝に霜が降ってもますます栄える常葉の木ですね」という意味です。
橘と聞くと、藤原不比等の妻、橘 三千代をいつも思い出します。
内助の功で陰で夫を支える良妻。これはあくまで歴史の教科書に載っている程度の橘 三千代の一側面でしかありません。
彼女は中堅氏族の出身で、具体的な政策結果はないものの、天武・持統両天皇からの信頼を得、文武天皇の幼少期の教育を任され、前夫との子は大臣に、不比等との子は皇后に、そして孫は天皇になっています。さらに夫は、当時の最高権力者です。
これだけの人材に囲まれた橘 三千代は、単に幸運に恵まれただけという女性ではありませんでした。
夫の藤原不比等は、自らの実力で下級官人から大出世を遂げた人物です。
そして 平安時代に大繁栄する藤原氏の基礎の基礎をつくり上げました。
「人臣といえど娘が皇后になれるのではないか?」かつて誰もなし得なかった壮大な夢を、もしかしたら三千代だけには語っていたのかもしれません。
後の話ですが、三千代との娘(光明子)は聖武天皇の皇后になり、このふたりが時代を動かしていくことになります。
橘 三千代は、不比等の夢の実現に助力し、天武~持統~文武の時代を陰で支えました。
そして次の時代を担った人々はみな、三千代の教育を受けました。
まさに、才能あふれる時代の母となった女性でもあったのです。
冬枯れのなか、青々とした葉に鮮やかな黄色い実をつけて凛とたつ橘に、不比等とともに夢を追い求め、実りある生涯を送った三千代の姿を見るような気がしました。