赤ちゃんの進化学

西原克成著

 

哺乳類の中でも、霊長類に属する人間の赤ちゃんは、どのような特徴をもつのだろうか?これが正しい伝承が途絶えて、忘れられた育児学の鍵となる。

“人間以前の段階”にあるのが“人間の赤ちゃん”である。

このことをよく理解しないと、進化学や動物学を知らない医師たちのように、とんでもない育て方を指導しかねないのである。

では赤ちゃんが、どのように「人間以前」なのか、それをお話しする前に、胎児とはどのような存在であるかを、進化学と発生学の観点から、もう一度おさらいしてみよう。

  10カ月で5億年の進化をたどる

精子と卵子が出会って、受精卵の姿から、脊椎動物の始祖として海の中で“生”をうけた原始魚類、陸に上がった古代魚、そして鰓呼吸から肺呼吸へと移った両生類、陸の王者として一時代を築いた爬虫類、現在の地球上を支配する哺乳類……という具合に、その“姿”をつぎつぎと変えながら、胎児は大きくなってゆくのである。

つまり、5億年におよぶ生命進化の過程で、みずから形成してきた「形」を、もう一度再現しながら、現時点での進化の到達点である「人間の形」へと変容して行く……これが胎児である。

形態学では、この変容(変身)のことをメタモルフォーゼというが、これこそ、生命のもつきわめて厳粛な出来事であり、5億年にわたる壮大なスケールの“下敷き”があって、はじめて演じられる“進化の歴史”そのものである。

この地球上に、初めて生命が誕生したのが、今から30億年前だといわれている。30億年前の先カンブリア紀、原始のスープとよばれる海に、単細胞の微生物が誕生した。やがてこれが多細胞の生物へと変身するが、カンブリア紀以降、生命は、5億年という長い長い進化の旅を始めることになる。

逆からいえば、30億年以上かけて、現代の私たちの姿形へとなっていった。そしてそのプロセスを、胎児は、母親のお腹の中で再現させているのである。

単細胞の生命から始まって、心臓が動き出し、受精後30日ぐらいから魚類になり、両生類になり、手が生まれ、爬虫類になり、哺乳類になり、やがて刻々と人間(ヒト)になっていく。

初期の胎児は、稚魚のような形だが、これは古代の宝飾品である。“勾玉”のようでもある。よく知られている勾玉の形(受精卵が割卵<=分裂>して、桑実胚・原腸胚・神経胚・咽頭胚(鰓腸胚)になる。咽頭胚の段階が、ふつうの勾玉である)になる以前が、タツノオトシゴのような形をしたものだ。この形は、“神経胚”の後期に相当し、この時期の勾玉がいわゆる“子持ち勾玉”である。

ドイツの学者であるヘッケルは5億年の歴史の再現を「個体発生は系統発生を繰り返す」という言葉で、これはカプート(頭)が繰り返すという意味のラテン語で「頭部が反復する説」、我が国の高祖皇宗は、この胎児の形が「生命と魂の象徴」であることを知っていたので、これを火打ち石で造り、皇位の継承の印とした。子持ち勾玉が神経胚のもので、丁字頭勾玉チョウジガシラマガタマが鰓腸胚(咽頭胚)のもので、臍の緒つきのものもある。

●悪阻ツワリとは何か

 5億年にも及ぶ進化の長い歴史を、わずか300日の妊娠期間中に再現してみせる胎児だが、この再現スピードは驚くほど速い。妊娠期間の一日は、160万年以上の進化のスパンに相当する。生命の神秘はすさまじいほどだ。

妊娠中に、多くの妊婦さんが、“悪阻”をおぼえる。これも胎内の進化と大いに関係する。この悪阻が起きる妊娠初期のころとは、進化のステージでいえば、どの段階だろうか。それは約4億年前の地球の状態を考える必要がある。4億年前、地球の大変動で海が浅くなり、干上がりかけた陸地に取り残された数多くの古代魚が、陸地で干上がる危機に瀕した古代魚は“のたうち回って”空気中から酸素の呼吸を余儀なくされた。重力が水中の6倍になり、過酷な環境にあって、古代魚は“のたうち回って”空気中から鰓エラで呼吸をし続けるうち、血圧が上がり空気呼吸に対応できるができた。こうして、鰓から肺へと呼吸が移っていき、これらの古代魚は、やがて陸上での生息に適応できるようになったのである。

 これが古代魚の“上陸劇”である。ここから哺乳類型爬虫類と両生類・爬虫類・鳥類へと進むイクチオステガ(イクチオは魚という意味で、魚類型爬虫類のこと)の二つの流れが分かれる。

 胎児は5億年の進化を再現するのだが、上陸劇は、人間の胎児ではいつ再現されるのか。それは妊娠初期の32日目から38日目の6日間である。

そしてちょうどこの時期から“悪阻”が起きるのである。

 この時期の胎児は、かつて4億年前に、古代魚が上陸劇で味わった“のたうち回る”ような苦しみを、母親のお腹の中で再び体験しているのである。そして悪阻はちょうどこの時期から始まる。この時期が胎児の危機で、実際、息も絶え絶えの上陸劇がそっくり胎児において再現されるが、ヘタをすると死んだり、奇形が発生しやすい時期である。

 つまり、母親のお腹の中で進化を再現しつつある胎児の、上陸劇における“追体験”を、母親も“悪阻”という形で共有しているものと思われる。なぜなら、水棲の生き物から、陸上の生き物への“変容”は容易なものではなく、多くの生命がこの段階で失われる。胎児も実際、息が絶え絶えになって上陸劇のときとそっくり同じように、胎児の身体もまた「免疫システム」「造血システム」「自律神経」「体壁筋肉系」がおおきく変化している。第二革命の重力と空気呼吸への対応で血管系の変化がもっとも顕著に起こる。鰓呼吸用の血管から肺呼吸用の血管へと、大きく変化するからである。

胎児の苦しみに、母親の身体が反応するのである。このとき、お腹の胎児は、はるか4億年前の進化のステップアップをしているのであり、これを乗り切ることで、一歩一歩人間へと近づいているのである。

 悪阻は、母体の血液の酸素不足で強まるが、これは母体の腸の門脈の酸素不足によるから、横隔膜呼吸を充分にして、腸を冷やさないようにすれば、悪阻は克服することが出来る。生殖器も肺も、全ては腸からできることをわすれてはならない。(門脈とは、大動脈から腸に入り、消化された栄養を豊富に吸収して、肝臓の関係を通って、心臓に還る静脈のこと)

●赤ちゃんはホモ・サピエンスなのか

「進化の旅」は、いつ終着を迎えるのであろうか。胎児はどの段階で、ホモ・サピエンスとなるのだろうか。

 多くの人は、赤ちゃん誕生の瞬間だと漠然と考えておられるのではないだろうか。つまり、赤ちゃんは、完全な人間として生まれて来る……というふうに、ほとんどの人が考えているのであろうか。

 しかし、この世に誕生した瞬間に、進化の過程が全部完了して、人間として完成するということはありえない。実際に、赤ちゃんがホモ・サピエンスとしての特徴をもちはじめるのは、生後1年を過ぎた頃からである。

 正確にいえば、一歳を過ぎた頃から、赤ちゃんは段々に人間になっていき、二歳半の頃になってようやく「ホモ・サピエンスの子供」になる。

 つまり、一歳までの赤ちゃんは、ホモ・サピエンスではなく、他の哺乳類と同様の特徴をそなえているのである

●赤ちゃんがホモ・サピエンスでない理由

 赤ちゃんは、母親の乳首や哺乳瓶に吸いついて、お乳やミルクをごくごく飲んでいる。しかも、“息をしながら”である。数分間、息継ぎもせずに、お乳を飲んでいる。これは、人間以前の哺乳類に出来るが、私たち大人の人間にはできないことである。

 つまり、私たちは食べ物や飲み物を“のみこむ”とき、息を止めるが、赤ちゃんは息を止めないでも“のみこめる”

 私たち大人の場合は、食道と気管が交差していて、ミルクをのみながら、同時に、誤って息をしてしまうと、わたしたちはゴホゴホッと“むせて”しまう。肺に飲み物や食べ物がまぎれ込むと、誤嚥性の肺炎になる、窒息死を引き起こすことさえある。赤ちゃんの場合、この食道と気管が、きちんと分かれていて、食道と気管それぞれが、それぞれの働きを“同時に”行うことができるのである。

 サルやイヌ、ネコなど他の哺乳動物は、赤ちゃんと同じように、息継ぎせずに、食べ物を食べ続けることができる。

ということは、赤ちゃんの身体構造は、他の哺乳動物のグループに属しているといってもよいような段階にあるのである。乳児が“人間以前”といったのは、このような理由からである。

●「言葉を話す」という進化

 なぜ、成長した人間だけが、他の哺乳動物と異なる“喉の構造”なのか。人間が“言葉を話す”ようになったためである。

 声を発するメカニズムは、肺にある空気を、鼻ではなく、口へ向かって吐き出すことで、哺乳動物は声を発する。このとき、気管から鼻へ向かうべき空気が、喉の交差点で、口へと向かう。動物が“吠える”ときは気管を“一時的”に食べ物の道につなげて、喉から口へ、かなり努力を要する“特別な作業”である。なぜ、努力が要るかというと、喉をはげしく緊張させ、かつ運動させ、気管を強引に喉の方に近づけ、食べ物の道である口につなぎ、さらに声を発する(吠える・鳴く)作業をするからである。

次回に続きます

 

紹介者からの一言

赤ちゃんは母乳を飲む時、吸っているのではありません。赤ちゃんの口や舌は、腸の蠕動運動と全く同じ運動なのです。赤ちゃんは一歳過ぎまで、ストーローでミルクをのめません。スプーンやコップで、舌にミルクを置けば飲めます。赤ちゃんの口腔は腸と同じなのですから。

脳神経、呼吸、体温調節、消化機能、排泄、造血機能、全ての機能が未熟です。だから、呼吸も不安定、体温調節も不安定、吐きやすいし、黄疸も出ます。お母さんは卵を孵すように、赤ちゃんを守ってあげる必要があります、それが最低、一歳までは必要です。