最澄を知る39 最澄の天台宗①「仏性の考え方」
最澄は、比叡山に法華経を中心に据えた天台の教えを確立しようとおもっていました。
天台智顗から受け継いだものをアレンジして独自のものを作ろうとは思っていなかったでしょう。
それでも、天台宗が日本に根付こうとしたとき、それは古い日本の信仰と融和して、日本風になっていったのです。
最澄は、空海のように自分の思想を体系化した書物をほとんど残してはいません。
しかし、徳一との激しい論争があり、その反論が最澄の思想をはっきり見せてくれます。
徳一と最澄の一番大きな違いは、徳一が三乗(奈良仏教のひとつである法相宗の教え)の立場から論じ、最澄は一乗の教えから論じた、ということです。
三乗、一乗とはどういうことでしょうか?
三乗とは、今生で悟ることができる3種類の人々、、「声聞」、「縁覚」、「菩薩」をそれぞれに会った別々の教えで救われるといい、さらには今生で生まれながらにして悟れないことが決まっている人たちがいる、という考え方です。
一乗というのは法華経の教えで、三乗も結局は一乗になるのだ、すべての人間は釈迦の子であり、すべての人間は死んでからのちに釈迦のように涅槃に入って仏になる、という教えです。
徳一は、善の心を全く持たないような悪人が仏になれるとは思われず、また一人だけ山の中で悟るような二乗の人は、大きな悟りに至れない、と主張しました。
それに最澄は、「すべての人間に仏性がある」と主張しました。
法華経の説法に出会えば、すべての人は仏になれる。前世や来世でであってもそうなる、というのです。
法華経は、釈迦が方便で説いた数々のお経の最後に語られた、眞の釈迦の悟り、最高の教えであると、最澄は主張しました。
そのころ、最澄のといた仏性論は、まだ主に人間にとどまっていました。
、それが「山川草木悉皆成仏」というように、草木や国土も成仏できるという教えは、鎌倉仏教でより深くなっていきました。