百人一首を覚えましょう 63、今はただ~ | うさぎのしっぽ 猫のあしあと

うさぎのしっぽ 猫のあしあと

つれづれなるままに…思いついたことを思いつくままに書いてます。新米ママなので最近育児日記化してます…^^;
旅行の話、音楽やディズニーやフィギュアスケートなど、好きなことを気ままに書こうと。食べ物・時事ネタ何でもアリ。
ほとんど自己満足なような…

多分、当時の悲恋の代表格のような歌でしょうね…。


今はただ 思い絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな        左京大夫道雅



とっても切ない歌ですね。。。


これは、背景がわかると余計に切なくなる歌なんですが、普通に読んでもなんて悲しい歌なんだろうなと思います。


「思い絶えなむ」は、思い切ってしまおう、思いを断ち切ってしまおう、という意味になります。


「人づてならで」、人づてではなく、という意味。


今はただ、あなたへの思いを断ち切ってしまおうという、そのことだけでも、人づてではなく、直接あなたに伝える方法があればいいのに…。


というような内容です。


もう思うのはやめます、そのことだけでも直接伝えたい、って切なさの極みですね…。


実はこれ、気の毒な元名門の御曹司と前斎宮の悲恋の歌なんですね。


左京大夫道雅は、藤原伊周の息子です。伊周は道隆の嫡男で、叔父の道長に失脚させられて左遷させられた有名な人。


ちなみに、伊周が失脚させられたとき、この道雅は5歳くらいだったんだそうです。


つまり、生まれながらに名門の家に生まれながら、すでに幼少期に出世の道を閉ざされているようなものなんですね。


おまけにもってきて、この恋です。


相手は三条院に溺愛されていたという当子内親王。三条院が院になった時に斎宮の任を終えて帰って来たんですね。


でも斎宮ってものすごく微妙な立場で、要は神に仕えたということになるので、そこから降嫁することってあまりなかったみたいなんです…。


それも勝手な上の都合で、若い身空で斎宮にされてしまう皇女は可哀そうなことこの上無いと思うんですが…、


当子内親王は当時16,17くらいだったんだそうで、まだ若いというか今なら子供、ですよね。


それがもう恋愛はダメ、静かに余生を送りなさい・・・って無茶な話です。


道雅と当子内親王は、こっそりと逢瀬を重ねたらしいんですが、結局院に知られて激怒され、


道雅は左遷されてさらに不遇の待遇となり、当子内親王には監視がつけられて、二度と逢えなくなってしまったんだそうです。


…傍から見ていたら、そんな可哀そうな、なんて勝手な…って思っちゃうんですが…。


当子内親王はこのことを悲しみ、悩み、物凄く若くして出家してしまうんですね。


斎宮って…。選ばれた皇女はほとんどは独身ですごしたとか…。可哀そうですよね、大人の事情で。


そんなシステム辞めて、天皇を降りた元天皇が余生を送りに行けばよかったじゃないか!


って思っちゃうのは、ちょっと極端かもしれないですけど、


それにしても昔は気の毒な女性が本当に沢山いたんだろうなと思うと、余計に悲しくなります…。


なんとかならなかったんでしょうかね…。


うさぎのしっぽ 猫のあしあと


なんとなく、雰囲気だけで写真を貼ってみる…。