実はこれも前出の歌人の息子の作品です。
いまこむと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな 素性法師
ここでいう「いま(今)」は、すぐに、ということ。
有明の月というのは夜明けにまだ残っている月のことを言います。
長月は9月のことなので、秋の夜長が明ける有明の月という感じでしょうか。
すぐに行くとあなたが言ったばっかりに、秋の夜長をすごし、明け方の月を待って迎えるようなことに
なってしまいましたよ。
何とも切ない歌ですね…。![]()
すぐ行くからね、と言われていたのに待っても待っても来ないから、ついに夜が明けてしまったじゃないの…という、ちょっと非難めいた感じの歌ともとれなくないです。
昔は通い婚でしたから、女性はより切ないですよね。ともかく男性が来てくれるのを待っているしかないんですから。
そりゃあ来てくれなかったら、恨み言の一つも言いたくなるだろうなあと思います。
この歌、普通に読めば、秋の夜長を一日明けるまで待ち続けて過ごしてしまった…という風にとれるんですけど、別の解釈もあるんです。![]()
百人一首を選んだとされる藤原定家は実は別の解釈を唱えていて、男性を毎晩毎晩春先から待ち続けていて、いつのまにか秋(長月)の頃にまでなってしまった…と。
それはもっと悲しい…。![]()
でも定家が言っているくらいですから、本当のところはそっちの方が合っているのかなあとも思います。
昔は待って待って待ち続けて…という女性も多かったんでしょうね・・・。
う~ん、つくづく男って・・・。
とりあえず、待ち続けるなんて性に合わないので、昔に生まれなくてよかったなあと思ったり…。(苦笑)
さて、作者の素性法師。三十六歌仙の一人ですが、実は僧正遍昭の息子。
親子揃って歌の才能に恵まれたわけですね。
どうやら、父親が出家するから息子も出家しろ、ということで出家したようで、それはちょっとかわいそうな気がするんですが…。
でもこの素性法師、歌だけでなく書の才能もあったらしく、出家後は雲林院というお寺に住んで、歌合(うたあわせ)や天皇の求めに応じて屏風歌を書いたりと、結構活躍していたようです。
詳しいことはわかっていませんが、文化人として重用されていた感じもあるので、そうすると余計な政争に巻き込まれないということでは、出家していてよかったかもしれませんね。σ(^_^;)
有明の月じゃなくて、実は夕方まだ明るいうちに撮ったんですが…(しかも月ちっちゃいし…
)
明け方の月はもうちょっと空が明るくて、白っぽいでしょうね。
あくまでイメージということで。
