「わたの原」で始まる歌は2つありますが、まず一つ目。
わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟 参議 篁
わたの原は海のこと。大空が天の原なのに対して、海原をわたの原っていうんですね。
八十島は沢山の島々、流されたところが隠岐なので、確かに沢山の島がありますね。
海にうかぶ沢山の島々へ向けて漕ぎ出していったと、京にいる(恋しい)人に伝えてくれ、漁師の釣り舟よ。
わかりやすいといえば、わかりやすい歌です。
ここで出るあまの釣り舟は、漕ぎ出していったその目の前にあった釣り舟を指しているんでしょうね。
船で流刑地の隠岐へ向かう途中に逢った、漁師ではなく釣り舟、その船に向かって「伝えてくれ」というところがちょっと面白いですね。
擬人化した船に呼びかけているのを、やせ我慢ととるか、それとも人ではなく船に伝えてくれというくらい孤独な気持ちだととるか、人によって分かれるところかなと思います。
私は、作者のことを考えると、やせ我慢かなあ・・・とちょっと思いましたが、歌だけ読むとちょっと寂しくて、孤独感ともとれる気がしました。
で、この歌の作者、参議というのは役職名なので、本名は小野篁です。
かなり頭の良い人だったらしく、大変若くして遣唐使の一人に選ばれています。しかも遣唐副使というのですから、なかなかすごいです。
が、彼は船に乗らなかったんですね。リーダーだった藤原常嗣と喧嘩して。
理由はいろいろみたいですけど、どうやらどちらかといえばこのリーダーに問題があったらしい・・・。
しかもこれだけで済まなくて、後で遣唐使を風刺する歌なんかを書いちゃったんですね・・・。![]()
そりゃあ、…罰せられます…。だって遣唐使って勅命だし。天皇に逆らったってことになりますからね。
で、隠岐に流罪。。。
この時に書いた歌が、この八十島~の歌です。
ま~多分反骨精神旺盛で、結構頑固者だったんじゃないかって思います。(;^_^A
ただ、彼は数年後に許されて都に戻っているんです。
作者名になっている参議という役職は、実は許されて都に帰ってから得た位。結構高い位の役職です。
当時でも反骨精神旺盛で、やる気があって、才覚のある人っていうのは、一度や二度の挫折じゃへこまないのかな…と思いました。
勿論、運もあると思いますけどね。
どうやら、この気骨ある(?)人物像は人気があるらしく、後に「篁物語」という彼を主人公にした物語までつくられたそうです。
今度読んでみようかなあと思います。
