まずは順番通り、一番から…
秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
あまりにも有名な百人一首の第一首目です。
かりほ=刈り穂と仮庵(かりほ)をかけています。
庵は草とか木とかで編んでつくった粗末な仮の小屋のこと。意味を掛けているんですね。
苫は萱ぶきのような屋根をふくこと、なのでその草の網目が粗い、ということになります。
→秋の田んぼの、稲の刈り穂を収めている粗末な仮小屋の、その小屋を編んでいる編み目が粗いので、私の着物の袖は秋の夜露に濡れ続けています。
というような意味でしょうか。
内容だけ考えると、天皇が作った歌とは考えづらいですよね…。
実は万葉集に同じような素材の歌があって、そちらは詠み人知らずなんですね。
それがずっと伝えられているうちに表現が変化したとか、伝承する上で天皇の作になったとも言われているようです。
でも、天皇が農夫の気持ちを慮って詠んだ歌、とされると民を人心を思いやる天皇の歌、という感じにもとれます。
まあ平安より前の万葉歌人ですから、本当のところどうなんでしょう…。
さて、この歌の作者とされている天智天皇、こちらも有名な天皇ですよね。
百人一首というと平安のイメージが強いですけど、天智天皇はもう少し前の万葉集の時代の人です。
第二首の作者である持統天皇の父でもあります。
ただ、かなり大変な時代の人というのも事実。それこそ大河ドラマになりそうな…。![]()
わかりやすいのは天智天皇=中大兄皇子だと思うとイメージがわきやすいかと。
大化の改新の時代の人ですからね、相当古いです。
平安王朝の太祖として敬意を表して、百人一首の冒頭にこの歌があるともされているそうです。
もうこの時代はぐっちゃぐちゃ(苦笑)。
もともと後ろ盾があまりしっかりしていない人だったみたいです。
中大兄のってことは次男坊だし。斉明天皇の次男なんですね、中大兄皇子って。
でも多分ほかの兄弟と仲良かったかっていうと、そんな気は全くなく・・・。(;^_^A
有名なのは弟の天武天皇と政権争いしたり、恋人の額田王を取り合ったり、…まあそれはいいとしても、怒涛の時代って感じです。
王室って言っても、ただ優雅な感じではなくて血みどろ~な骨肉の争いって感じが…。![]()
近親婚もありましたしね、今とはだいぶ印象が違うかと。
系図とかみると、もう何が何だかわかんない感じです。(苦笑)
でもそういう時代をともかく生き抜いて、名を残すくらいの人ですから、やっぱり凄い人だったんでしょうね。
で、そんな覇権争いも激しい時代ですから、もしかしたらご本人が荒れた小屋に潜んで…なんてドラマ張りのこともあった、かも…?(いや、さすがに多分ないとは思いますけどね…)
でもそんなことを考えて読むと、またちょっと違ったイメージになりそうな歌ではあります。
秋の田の刈穂の庵の、で「の」を重ねているところがリズムがよくて、上の句のほうが覚えやすいですね。
わが衣手 の下に続くのは、ほかの歌に「雪は降りつつ」っていうのもあるんですが、
秋=露、春=雪って整理しておくと、間違えないです。
ちなみに、秋の田→露に濡れつつ、で覚えちゃうと、早く札をとれます。(苦笑)
写真は単なるイメージです…。歌のというよりは天智天皇の時代の。
秋の写真、いい感じに寂れたのが見当たらなかったので…。![]()
まだ国風文化になる前なので、どっちかというとこういうイメージのほうが近いのかな…と。
天皇・王様のための建物だと、こんな感じかなというあくまで私のイメージです。σ(^_^;)