ガラケーのメール、LINEのメッセージ | 水たまりに映る虹の向こうに

水たまりに映る虹の向こうに

2017年9月にパートナーを自死で亡くしてから、生き方を探しています

わたしは彼と一緒に暮らしていたけど

離婚していたので家族ではなかった。

なので、彼の残したものは、結婚指輪以外すべて

ご家族にお任せした。

 

17年付き合ってきたのに、持ってこれたものが指輪だけ、というのが

当時はとてもさみしく思ったが、いまでは、それで十分かなとも思っている。

遺品の整理をするの、大変そうだもんな。

 

それに、彼がわたしにプレゼントしてくれたものが

少しだけ自分の手元にあったので、これも結果的には形見になった。

 

失くすのがこわいから、身に着けたりはしないけど。

 

 

彼が遺していったものは、なにもモノだけではなくて、

たとえばLINEのやりとりだったり

ガラケーに入っているメールだったりする。

 

持っていたガラケーも電源もすべて持っているので、

遡ろうと思えば付き合い始めまで遡れる。

まあでもそこまではしない。笑

たまに読み返すのは、LINEのやり取りと

最後のガラケーになった携帯電話に残ったメール。

 

ほんとに、他愛もないこと。

 

「これから帰るよー」

「何時に帰る?」

「ご飯作ったよー」

「いまどこ?」

「気をつけて帰ってねー」

 

そんなんばっかり。ほぼ連絡事項。

 

こういう何気ないやり取りが、いまではとても愛しく思える。

振り返って読んでみれば、本当にこの人は優しすぎた。

わたしの気持ちや行動最優先で、自分は後回しだった。

 

優しくて、そこが頼りなくて、わたしは自分がしっかりしなきゃ!って思っていて

そう思うのもやだよなー、わたしだってもっと甘えたい!と思ってたけど

 

彼という存在そのものに、とてもとても甘えていたんだ。

 

生きていさえしてくれたら、それで十分だった。

そういうことを、もっとちゃんと伝えていたらよかったと思った。

でも、そばにいるのが当たり前すぎて、気づいていなかった。

 

彼の言葉遣いは独特で、

はたから見ると「なんじゃこの人」って思われるような言い回しで

でもわたしは、彼のその変な言葉遣いというか

独特の表現が好きだった。

 

また聞きたいなあ。

なんて。

 

 

「自分がしっかりしなきゃ!」という存在がいまはいないので

しっかりする必要もなくて、

いまはひたすら、だらだらと、ぼんやりと生きている。

これでいいのかなあと思いながら。

 

いつかまた、誰かのためにしっかりと生きたいって思うけど

そういう相手を積極的に探してはいないし、

まずは自分のいまを生きていくだけで精一杯。

 

 

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