■蔵王温泉

 

(前編よりつづき)

蔵王温泉バスターミナルで下車し、予約していた「吉〇屋旅館」さんへ。
蔵王温泉は標高900mほどあるのでもっと涼しいだろうと思っていましたが、17時ころの時点でまだ30℃近くあり、先日の大雨のせいか湿気も漂っていて、さわやかな高原と言うにはほど遠い空気。
でも、宿への道すがら温泉街の小川や排水溝からは硫黄の匂いが立ちのぼり、これぞTHE 温泉の風情です。そこかしこに足湯や共同浴場も点在しています。川沿いの大露天風呂が有名みたいですが、今回は行けずじまいでした。

(蔵王温泉の大露天風呂)

 

蔵王温泉は日本で最も古い温泉地のひとつで、東征した日本武尊に従った吉備多賀由(キビノタガユ)によって西暦110年頃発見されとされています。

なんと開湯1900余年!
泉質は王道の「強酸性硫黄泉」。白濁した濃厚なお湯は、硫黄泉特有の血行促進や皮膚の殺菌作用、美肌効果など、多くの効能が謳われています。

 

 

■あ~長い一日だった

 

吉〇屋旅館さんを選んだのは、今回の目的地の一つ「酢川温泉神社」にほど近いからでした。そう、聖子ちゃんや早見優ちゃんが記念植樹をしたという神社です。

旅館に着いて荷物を置くと、さっそく「酢川温泉神社」の参道(山道?)へ。

 

 

 

途中まで登ってみましたが・・・どこまで続くこの石段?!
うぅ~ん、今日はやめておくか。明日だ、明日・・・
ということで、すでに猛暑にやられて体力(と気力)の限界を感じていた私(というか階段の長大さにひるんだ私)は、すぐ旅館に引き返して、ひとっぷろ浴びた後、夕飯ということにあいなりました。

 

 

あ~、極楽、極楽!
夕食は「すき焼き」や「ジンギスカン」も選べるんですが、痛風持ちの私は肉料理は敬遠して「山形芋煮膳」をチョイス。里芋と豚肉(やっぱり肉か・・・)の芋煮は、ちょっと甘めの味噌だしが絶品でした。
(食事処にスマホを持って来ず、写真はありません)

 

夕食の後、またひとっぷろ浴びて部屋に戻りましたが、実は吉〇屋旅館さんには冷房というものがありません。あるのは暖房用のガスヒーターと扇風機だけ。扇風機を強にして風を浴びるものの、汗が止まりません。そこで、そろそろ涼しくなったであろう屋外に出て涼みながら周りを散策したついでに、唯一のコンビニ(ローソン)で寝酒のハイボールを2缶ばかり買って帰りました。
ハイボールをやりながら、masainokiさんのブログへ今日の成果報告。これで一日は終了です。
あ~長い一日だった・・・

 

 

■酢川温泉神社へ
 

早寝したので翌朝は6時に起床。また風呂に入って髭を剃る。
朝食は、聖子ちゃんも愛した「アジの干物」と卵と海苔と味噌汁。定番の日本の朝食です。
ちょうど宿の女将がいらしたので、

「40年前の蔵王音楽祭の事を調べていまして・・・」と切り出すと、

あ~、覚えてますよ。懐かしい! 聖子ちゃんが来て大騒ぎになった時よね。私は中学生ぐらいだったかなぁ?
その話を振られたのは長年やってて初めて。珍しいお客さんだわ!

はあ、そりゃ珍しいでしょう・・・
「これから聖子ちゃんが植樹した場所を見に行きたい」と言うと、

ああ、知ってますよ。以前は立て札みたいのがあったけれど、最近は無くなってるみたい。
昔は神社のすぐそばの「山〇屋」という旅館の主が宮司を兼ねていたんですが、旅館をやめて別のところに移っちゃった・・・。そんなわけで、今は社務所もないし、人もいないんですよ。
植樹した場所は、確か本殿に向かって右の方の茂みの中だったはず・・・

いや~、貴重な情報ありがとうございます!

ということで、旅館に別れを告げて「酢川温泉神社」への登頂?に再挑戦。
 

 

長~い石段の途中には地元の人が詠んだ川柳が記された灯篭が並び、「川柳坂」と呼ばれているそうです。

(お父さん マスクも会話も よくずれる 笑)

 

100段以上あると思われる石段を登りきると・・・あれっ?道路がある。もしかして中腹まで来る道があったのね、まあいいや^^;この道路を渡って、さらに数十段の石段を上るとやっと頂上(境内)。

(酢川温泉神社の本殿)

 

この比較的新しい本殿は(先ほどの女将の言では)30年くらい前に建てられたとか(記憶があいまい)。ということは、聖子ちゃんらが訪れたころはもっと古~い本殿だったのかも?補修工事中のようで、絵的には簡易トイレがちょっと邪魔・・・。
この本殿に向かって右の方に、女将が言っていたように深い茂みがあります。この中に、聖子ちゃんら5人が記念植樹を行なった箇所があるはず。

 

(聖子ちゃんの記念植樹~ブログ「山形蔵王大好きコミュニティ」さんより転載)

 

(2006年ころの現場の状況(上と同じブログより)

 

長年の風雪のためか今は表示板もなくなっていますが、前編で上げた新聞記事には「松の木を植樹した」と記されています。松の木、松の木・・・あった!

 

 

ここに松の木が数本生えていて、他にはそれらしき箇所もないので、聖子ちゃんたちが植樹した場所に間違いありません!
しかし、思いのほか木が小さい(細い)。40年も経てばもっと太い幹になっていてもいいはず。それともそういう品種なのでしょか?
よく見ると、松の木のほとんどが斜めに生えていたり、下の方に枯れ木の残骸があったりします。もしかすると、大雨か何かで土壌が流されて、木が倒れたりしたことがあるのかも・・・そのせいで順調に生育しなかったのか?(個人の想像です)
うぅ~ん、ちょっと残念!
いやいや、40年もの過酷な環境変化に耐え、ここまで生き残ってくれただけでも御の字です。

根元を可憐な紫陽花が彩っていました。


♪風に向かう一本の松・・・ありがとぉ~~!

さて、本殿に戻ってお参りです。
セルフの御朱印が置いてあるので、自分でペタン!
 

 

松田聖子に幸あれ!
松田聖子を愛するすべての者に幸あれ!!

パン、パンッ!

 

 

■聖地 蔵王ジャンプ台へ

酢川温泉神社の境内を左の方へ抜けると、広大なスキー・ゲレンデが広がっています。山頂の方に上るケーブルカーの駅もあり、これに乗ってみようかと思いましたが、とりあえずそれは後回し。「蔵王音楽祭」の特設ステージがあったというジャンプ台を目指します。

 

 

スキー客向けのロッジやペンションが建ち並ぶ一角を抜けると、そのジャンプ台が見えるはずなんですが、あれれ?どこにも見えない。
庭の手入れをしていたペンションの主に、「ジャンプ台はどっちですか?」と尋ねると「そっちの森のうしろですよ~。」とのこと。森に隠れて見えなかったんです。
ついでに、「旦那さん、マスクはいらないでしょ?」と注意されました。
いつもの癖でマスクをして歩いていたんですが、確かにこんな所でマスクはいらんわな^^;
(蔵王ジャンプ台)

 

これが俗称「蔵王ジャンプ台」、現在の正式名称は「マリオンテック蔵王シャンツェ」。冬には女子ジャンプのワールドカップが開催される場所です。高梨沙羅さんや伊藤有希さんなどが何度も参戦されていますね。
着地地点の手前に平地が開けていますが、ここには選手の着替えや休憩用?のプレハブ建物が幾棟も建ち並んでいます。
いったい、特設ステージはどこに設置されたんでしょうか?・・・わかりません^^;

 

 

周りはスキー場の麓で、広大な原野ですので、このあたりのどこかに「特設ステージ」が設置されたんでしょう。
あっ、蔵王の山麓にこだまする「渚のバルコニー」の歌声が聞こえてきますね♪

空耳でしょうか・・・?

 

 

■再び山形市へ(山形市立図書館)

実は宿で朝食をいただいた後、昨日「山形県立図書館」でマイクロフィルムから印刷した新聞記事を見ながら、その画質の悪さに落胆していました。そこで、試しにもう一つの大きな図書館「山形市立図書館」に電話して、「昭和57年ころの山形新聞の縮刷版はありませんか?」と尋ねたところ、「縮刷版ではなく現物が保管してありますよ~」とのこと。わ~い!
というわけで、神社とジャンプ台を巡った後、周辺の観光は(残念ながら)取りやめ、急ぎ山形市へ戻ることに。

 

 

市立図書館は山形駅から歩いて行くにはちょっと遠い。バスもどれに乗ればいいかわからないので、タクシーで直行。
「朝電話した者ですが・・・」と言うと、すでに昭和57年7月と8月の新聞を用意してくれていました。
目的個所はわかっているので、早速その紙面をコピーしましたが、その際なんとなくページをめくっていると、何と82/8/31の紙面にこんな記事を発見しました!

(1982/08/31 山形新聞)

 

これはどう考えてもマイクロフィルムにはなかった記事・・・そんなことがあるんでしょうか。写真が満載で、当日の熱狂(特に親衛隊)が伝わる記事ですね!

それにしても、ものすごい観衆の数。この紙面では6千人、前の記事では5千500人となってます。「鹿田アルバム」さんの記事では2万人??どれが正しいんでしょうか?

ともあれ、最後にこんな素敵な記事を発見できて満足、満足。
これで皆さんに良いご報告ができそうです^^

ということで、前・後編にわたって長~い拙文を読んでくれてありがと~!
聖子ちゃんにもありがと~~~!

では~パー