「書籍紹介]

 

                 
「クマのプーさん」を生み出した
A・A・ミルンE・H・シェパードの生涯を辿る本。
ミルン財団、シェパード財団公認。
未公開のカラー図版多数。

著者のジェームズ・キャンベルは、
E・H・シェパードの曾孫と結婚し、
彼の芸術・文学遺産の監督責任を担っている人物。

つまり、本書は正統的評伝
なお、二人のフルネームは、
アラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne)と
アーネスト・ハワード・シェパード(Ernest Howard Shepard )。
ついでに言うと、プーさんの本の原題は、
「Winnie-the-Pooh 」で、
石井桃子訳で日本で出版された時の題名「クマのプーさん」が定着した。

◇もくじ◇
 まえがき
第一章 ふたりがとてもちいさかったころ
第二章 「パンチ」
第三章 第一次世界大戦とその余波
第四章 「クマのプーさん」誕生まで
第五章 トラー登場
第六章 ミルンとシェパード、そして「たのしい川べ」
第七章 吹き荒れる嵐のなかで
第八章 クマのプーさんと歳を重ねたふたり
 あとがき
 謝辞
 訳者あとがき

 
第一章から第三章までは、
二人のそれぞれの誕生と子供時代、
イギリスの有名雑誌「パンチ」での仕事ぶり、
二人が従軍した第一次世界大戦が与えた影響、が辿られ、
第四章になって、
ようやく「クマのプーさん」が登場する。
本の題名の『「クマのプーさん」誕生物語』は
やや誇大広告か。
原題は「The Men Who Created Winnie the Pooh 」。
ただ、二人の業績が長く語られたのは、
やはり「クマのプーさん」が大きい。

いくつか新しい知識が増えた。

○第一次世界大戦で従軍した際、
 シェパードはアーネスト・ヘミングウェイと出会い、
 意気投合している。
○ミルンとシェパードは雑誌「パンチ」従事中は、
 一緒に仕事をすることはなかった。
 プーさんシリーズで一緒に関わったのは「パンチ」退任後だった。
○「クマのプーさん」は1926年に発表された。
 従って、今年が100周年になる。
○プーさんシリーズは、「クマのプーさん」と、
 1928年の続編「プー横丁にたった家」と
 その前後に発表された二つの童謡集
 「ぼくたちがとてもちいさかったころ」
 「ぼくたちは六歳」の計4冊からなっている。
 いずれも挿絵はE・H・シェパードが手がけている。
○物語の中に沢山の動物が登場するが、
 それは息子クリストファー・ロビンの持っていたぬいぐるみがモデル
 子豚のピグレット、
 カンガルー親子のカンガとルー、
 ロバのイーヨー、
 子トラのティガーなどなど。


 ただ、プーの造形は、クリストファー・ロビンの持っていたテディ・ベアと
 シェパードの息子グレアムが持っていたクマのぬいぐるみとの合体で、
 よりずんぐりした体型のテディベアのほうをモデルにして描くことになった。
 それにより、親しみがわいた。

 


○二人の関係は終始プロとしての節度を保ち、
 互いに認め合うものだったが、
 二人が親しい友人になることはなかった
○プーシリーズ4冊により、物語と挿絵の関係は
 文学史上切り離せないものとなった。
○ミルンの提案で、プーシリーズの新作の報酬は
 一括払いでなく、印税払いにすることになった。
 その配分はミルン80%シェパード20%だった。
○ミルンがプーシリーズに積極的に関わったのは
 1928年までで、
 その後は子供向けの作品は書いていない。
○1930年代に入るとミルンの夫婦関係は破綻し、
 それぞれ別なパートナーと交流するようになる。
○シェパードの娘・メアリーは、「メアリー・ポピンズ」の挿絵を担当した。
○1952年、ミルンは重度の脳卒中を起こし、
 入院中、シェパードの見舞いを受け、
 これが二人にとって最後の対面となった。
○ミルンの死後、妻のダフネにより、
 「クマのプーさん」の権利がウォルト・ディズニーに売却された。
 しかし、ダフネは契約に関しシェパードに一切関与させなかった。
 シェパードは自分の原画を改変、利用するのを
 阻止する手段を持たなかった。
○クリストファー・ロビンには、
 世界中からファンレターが舞い込み、
 様々な行事に招待され、
 レコードも吹き込むなど、
 プライバシーもなくなってしまいまった。
 愛していた保母と切り離されるなど、
 心の傷も大きかったようで、
 成長したクリストファー・ロビンは、
 自分の子ども時代が失われた、と感じるようになり、
 父母と次第に疎遠になった。
○クリストファー・ロビンは結婚したが、
 孫は生まれなかったので、
 ミルンの血筋は絶えている。
○著者死去以降の著作権保護期間が満了し、
 書籍やそのキャラクターを基にした映画などの作品が
 ディズニー以外でも製作されるようになった。

なお、私が「クマのプーさん」と出会ったのは、
高校時代で、
すぐ魂を奪われました。
大学受験の当日、
お守りとして服の中に忍ばせたほどです。
当時の愛読書は、
「クマのプーさん」と
「星の王子さま」と
「風に乗ってきたメアリー・ポピンズ」でした。
ハンドルネームとして「浦安のプーさん」を使っています。
体形的にも似ています。