レコードに目を転じてみると、ソヴィエト・メロディアは、西側で「ブーム」などと言われるようになる前から実に多くのレコードを出している。例えば第2番を私の手元にあるもので見ると、クレンペラー、ヴァルター、ショルティ、クーベリックなど西側の原盤によるものが多数出ている。
ソヴィエト以外の旧社会主義圏の国々を見てみると、東独エテルナにしても、チェコ・スプラフォンにしても、50年頃(つまりLPの初期)からマーラーのレコードをいろいろと出している。西側の大抵のレコード会社よりも多く出していたと言ってもいいくらいである。この時期、ドイツ・グラモフォンもテレフンケンもほとんどマーラーを出していないのと極めて対照的である。

以上の問題については、現在執筆中のマーラー論の中に詳しく書く予定だが、ともかく、コンドラシンのマーラーは、マーラーが知られていなかった(演奏されていなかった)中から出てきたものではない。ソヴィエト および旧社会主義圏ではマーラーの演奏は戦前から(いや、マーラーの時代から)自然につながっている。
そもそもマーラー自身がロシアとはかなり縁が深い。新婚旅行はサンクト・ペテルブルグ。これはマリインスキー劇場オーケストラへの演奏旅行でもあった。その後も、こんなたいへんな時期に!と驚くしかないとき(つまり、宮廷歌劇場監督を辞任することが決まり残務整理に忙しい時期1907年10月末から11月初め)にもロシアに行っている。この時のコンサートのうちの一つで、自作の第5交響曲を指揮している。その聴衆の中に若きストラヴィンスキーがいた(このあたりのことについては拙著『マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来』に詳しく述べてあります)。

また、マーラーの音楽の第一の使徒と言ってもいいオスカー・フリート(第6、7、9番のベルリン初演を指揮したり、マーラーの交響曲の史上初の録音(第2番)を実現したりは有名)は、1920年代からしばしばソヴィエトに演奏旅行に行っているばかりか、1934年にはソヴィエトに亡命している。
おそらく、この人によって、かなり早い段階からマーラーの音楽はソヴィエトでも紹介されていたと考えられる。
(つづく)
一昨日(6日)が誕生日(1914年)で、昨日(7日)が命日(1981年)だったので、いろいろなところでキリル・コンドラシンの名前を目にした。それは喜ばしいことであった。だが、コンドラシンが語られているさまざまな言葉を読んでいるとそこから少々気になる調子が感じられてきた。
それは、「コンドラシンとマーラー」、「ソヴィエト(および旧社会主義圏)におけるマーラー」に関して大きな誤解が定着しているのではないかということである。つまり、ソヴィエトおよび旧社会主義圏ではマーラーはあまり知られていなかった(演奏されない、レコードも出されていない)という誤解である。
ソヴィエトをはじめとする旧社会主義圏でのマーラーの受容は、おそらく今日の日本で考えられているよりもはるかに早くまた広いものであった。だから、コンドラシンが残したマーラーの録音について、「マーラーがほとんど知られていなかったソ連で果敢にコンドラシンが取り上げた」などという認識はまったく的外れである。
(つづく)

5月27日に名古屋でのリサイタルが決まっている

マリア・フォシュストロームさん。

そのマリアのリサイタルが大館でも行なわれます。



アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと



2012年5月22日(火)19:00~

大館市民文化会館大ホール

全自由席:一般3000円/高校生以下無料

【主催】マリア・フォシュストローム アルトリサイタル実行委員会

【問い合わせ】大館市民文化会館 0186-49-7066




アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと

ちなみに名古屋のチラシはこちらです。


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと

アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと
プログラムはほぼ同じ内容ですが、

大館のチラシの方がマリアの写真が大きくて

素敵なような気が……。

高野麻衣さんの『乙女のクラシック』(新人物往来社)を読みました。

とても素敵な本です。

基本的には「音楽史」を語っているのですが、帯にある

「ようこそ、あなたのための音楽史へ。あなたの生活を薔薇色にいろどる魔法の舞台はこちらです」

という言葉通りの素晴らしい本です。

素敵に思ったところをいくつか。

「《アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳》。

夫の音楽をよりよく理解するため、もっと勉強したいと思っていたアンナ・マグダレーナのために、バッハが紡いだ練習曲集。こんなにも穏やかな愛のかたちを、たくさんの乙女に知ってほしい」(62頁)
クープランについて。

「…繊細なよろこびがあり、どんな冒険にも劣らない深い憂いがあり、痛みがある。その切実さをわからない人なんて、おそらくはじめから音楽とは無縁だろう。……それを受けとめる感受性こそがロココの、ひいては「乙女のクラシック」の基本だと、私は思っている」(70頁)

ベートーヴェンについてのコラムには、「音楽史最強のツンデレ男。その無愛想さに怯える少女もいれば、どうしようもなく母性本能をくすぐられる女性も多かったはずだ。……そんな男の『伝説のデレ』こそが、“不滅の恋人”へのラブレターである」とあります。(112頁)


という感じで、およそ「乙女」とはほど遠い私のような者も大きくうなずき共感しながら読み進むところや、そうだったのかと驚きながら納得するところが、ほとんどすべてのページにちりばめられています。そして、音楽だけではなく同時代の文学や美術、社会への触れ方も素敵です。


また、「池田理代子『ベルサイユのばら』…シェーンブルン宮殿でのマリー・アントワネットとモーツァルトのつかのまの邂逅が、愛らしいエピソードとして綴られている。」(89頁)のようにコミックや映画などについても実にツボを押さえた脚注が付いているのも嬉しい。

一番心うたれたのは、《アラベラ》について、

「エンディング、失意の婚約者の前に、階段の上から優雅な足どりでアラベラが降りてくる。音楽のなんという陶酔感。このオペラを観て以来、私は階段やエレベーターを降りるときにアラベラを思い出し、背筋を伸ばすようになった」(222頁)このように書ける人、好きです。


いや、《アラベラ》のくだりと同じぐらいか、それ以上に心うたれ、深く共感したのは、最終章「花咲く乙女たちのクラシック」かもしれません。「日本で最初のクラシック音楽愛好家は、旧制高校と旧制大学の学生たちだった――私はずっと、この説に疑問をもっている」(241頁)このことについては私も今後考えてみたいと思いました。


そして次の言葉に出会うことになります。

「マンガ界において、『小道具としてのクラシック』の第一人者はやはり手塚治虫だろうけれど、私のなかで萩尾望都の選曲は、もはや神格化されている。彼女の作品には『チェリストの恋人』『ドイツ音楽偏愛の男の子』などがしばしば登場し、日常を演出する」(243頁)

萩尾望都とクラシックについてはさらに次のように続きます。

「とってつけた『教養』ではなく、愛をこめて、じつに自然に。そればかりか、音楽は物語を暗喩し、伏線となり、最終話の余韻となる」

そして高野さんは高らかにこう宣言します。

「これこそ私の思うところの『乙女のクラシック』なのだ」。

深く共感しました。

感動しました。

一人でも多くの人にこの本を読んでいただきたいと思います。


乙女のクラシック/高野 麻衣
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