なんということだろう。
リゲティの『ルクス・エテルナ』をひとりで歌ってしまうなんて。
MONO=POLI (モノ=ポリ)/松平敬
¥3,150
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一枚のCDに、そして一人の音楽家に、これほどの衝撃を受けたことはありません。

まさに「空前絶後」「前代未聞」「壮絶無比」「前人未到」……などという言葉がすべて当てはまるどころか、これらの言葉ではとても捉えきれません。

松平敬(まつだいら たかし)さんの『MONO=POLI』というアルバムです。


まずは収録されている曲を以下に挙げます。


1、作者不詳:夏は来たりぬ(夏のカノン)(イギリス 1240年頃)

2、作者不詳:アレ〈歌え〉ルヤ(フランス 13世紀)

3、作者不詳:ねんころりん、私は可愛らしい、上品な姿をみた(イギリス 14-15世紀)

4、作者不詳:ローマは喜び歓喜の声をあげよ(フランス 12-13世紀)

5、ダンスタブル(ca.1390-1453):聖なるマリア


  ジェズアルド(1566-1613):マドリガル集第6巻より(1611年出版)

6、麗しき人よ、あなたが去ってしまうのなら

7、ああ、なんとむなしく、私はため息をつくのか

8、私は、ただ呼吸する

9、J.S.バッハ(1685-1750):8声のカノン BWV 1072(1754年出版)

10、モーツァルト(1756-1791):心より愛します KV 348(382g)(1782年)

11、グリーグ(1843-1907):めでたし、海の星(1893/98年)

12、ストラヴィンスキー(1882-1971):アヴェ・マリア(1934/49年)

13、シェーンベルク(1874-1951):分かれ道にて《3つの風刺》Op.28より(1925年)

14、ケージ(1912-1992):昔話《居間の音楽》より(1940年)

15、リゲティ(1923-2006):ルクス・エテルナ(1966年)

16、松平敬(1971-):モノ=ポリ(2009年)


  ブライアーズ(1943-):マドリガル集第2巻より(2002年)

17、私は、この地上に天使のような姿を見た

18、おお、あてどない歩みよ、おお、うつろいやすく、しかし確固とした思いよ

19、ベリオ(1925-2003):もし私が魚なら(2002年)

20、ケージ:声のためのソロ2(1960年)

21、シェーンベルク:千年を三度 Op.50A(1949年)


  ドビュッシー(1862-1918):シャルル・ドルレアンの3つの歌(1898/1908年)

22、 Ⅰ. 神よ!なんたる目の保養

23、 Ⅱ. 太鼓の音が鳴りひびき

24、 Ⅲ. 冬よ、御身が憎らしい

25、ブラームス(1833-1897):おお、なんとなだらかに(1870年頃)

26、パーセル(1659?-1695):主よ、わが祈りをききたまえ(1680年頃)

27、パレストリーナ(ca.1525-1594):主よ、今こそあなたは

28、ジョスカン・デ・プレ(ca.1450-1521):アニュス・デイ ミサ《ダ・パーチェム》より

29、作者不詳:3人のムーア娘(スペイン 15-16世紀)

30、作者不詳:手に手をとって(スペイン 15-16世紀)

31、マショー(ca.1300-1377):我が終わりは我が始まり


ご覧になればおわかりのように13世紀から現代にかけての多声(2声~16声)の声楽アンサンブルの曲を、トラック16の自作に向けて古い時代から新しい時代に、そしてまた古い時代の作品へ戻っていくという形に並べてあります。

この全体の構成は最後に置かれたギョーム・ド・マショーの『我が終わりは我が始まり』という曲の構成と相似になっています。

普通の意味での声楽アンサンブルによる演奏でこのような構成のアルバムを作ってもひじょうに素晴らしいものだと思うのですが、驚異的なことに、このアルバムで歌っているのは松平敬さんお一人なのです。

松平敬さんがお一人でファルセットを駆使して多重録音をしているのです。


このような、ある意味「特異な」アルバムを成り立たせている松平敬さんの歌唱力や表現力には感動します。

さらに、個々の曲を越えて、このアルバム全体として訴えてくるものの大きさに圧倒され、深々とこうべを垂れたい気持ちになってきます。


それぞれの歌詞の対訳をはじめ、ブックレットもたいへん充実しています。

ぜひお聴きになってみてください。


ただし、一つだけ注意点があります。

このアルバムは、一度聴いたら、どうしても何度も何度も繰り返し聴かずにいられなくなってしまいます。

「聴いていたら一日が終わってしまった」

ということも十分あり得ますので(私がそうでした)、聴かれるときは、十分にご覚悟のほどを。



アレグロ・オルディナリオ~マーラーを中心としたクラシック音楽のことなど
HMVへ 左矢印(今だと特別価格みたいです)


こちらで 一部を聴くことができます。

ヴァルターの36年のライヴのSPから、51年のクレンペラーのLP、52年のヴァルターのLPの間の時期である1948年に残されて、長い間眠っていた『大地の歌』の録音には、もう一つ、飛びっきり素晴らしいものがあって、うれしいことに今日では容易に聴くことができます(実は、ほぼ同じ時期にブタペストで行われた録音に非常に問題提起的なものがあるのですが、こちらについてはまた後日)。

それは、ヴァルター指揮、ニューヨーク・フィルで、キャスリン・フェリアとセット・スヴァーンホルムが歌った1948年1月8日のカーネギー・ホールでのライヴです。

これは最初はニューヨーク・フィルの自主制作盤で、同オーケストラの秘蔵のマーラー録音をCD化した12枚組みのセットの中の1枚として1998年に出されました。


アレグロ・オルディナリオ~マーラーを中心としたクラシック音楽のことなど-100219_1209~01.jpg


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ニューヨーク・フィルのサイト (←リンク)で購入できます。


このニューヨーク・フィルの自主制作盤が出された翌年、ナクソスからも同一音源が次のような形で出されました。


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こちら (←HMVへ)は廉価で容易に入手できます。


ただ、音質の点ではやはりニューヨーク・フィルのオリジナルの方がよりよいような気がします。


これ以前の記録が残っているものは、4種類――ターリッヒ(’34)、ヴァルター(’36)、シューリヒト(’39)、ロジンスキィ(’44)―-―ともすべてトールボリィが歌ったものだったのですが、ここで初めて、トールボリィとは違った、それも対照的と言ってもいい声で歌われた『大地の歌』に接することになります。

また、この録音はフェリアの4種類残されている『大地の歌』のもっとも古い録音にあたると思われます。


テノールが、スヴァーンホルムという、ヴァーグナー歌いとして知られた大歌手ですが、この人もスウェーデンの人であるということも興味深いことです。


コピーライトYoshio Maejima 2010

ヴァルター/ヴィーン・フィルの1936年5月24日(ちなみに、この日の演奏会は、マーラー没後25年の追悼演奏会であったようですが)の録音によるSPのあと、1951年にクレンペラー/ヴィーン交響楽団の颯爽とした演奏による初LPが米Voxからリリースされるまで、この曲のレコードはまったく出されませんでした。15年もの長い期間、『大地の歌』という曲はヴァルター/ヴィーン・フィル、そして何よりも、トールボリィとカルマン(クルマン)の二人の歌唱によって多くの人に親しまれてきたのでした。


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とは言っても、レコードの歴史の上では空白の15年ですが、実際のコンサートではかなりよく取り上げられていたことは言うまでもありません。LP時代にも多少は接する機会があったのですが、CDの時代になって、かなり多くの古い録音に接することができるようになりました。


その中には、第ニ次世界大戦中のものが二つあります。


まず一つ目は、カール・シューリヒト指揮、コンセルトヘボウ・オーケストラのもので、1939年10月5日のライヴです。

独唱は、シャスティン・トールボリィ(注1)とカール・マルティン・エーマン(注2)という二人のスウェーデンの声楽家です。


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archiphon ARCH-3.1


これは1993年にarchiphonレーベルから出されたもので、第6曲「告別」の途中で、聴衆の中の女性が

“Deutscland uber alles, Herr Schuricht!!”

と非常にはっきりとした、冷静と言ってもいい声で「発言」していることでも有名な録音です。


この「発言」というか「ヤジ」の真意についてはいろいろと取りざたされていて、中には正反対の解釈(つまり、親ナチ的な発言とするものと反ナチ的な発言とするもの)もあるようですが、その発言のタイミング――練習番号47と48の間、ちょうどアルトが

“Er stieh vom Pferd......”

と歌い出す直前――から考えると、悪意をもって演奏の妨害をしようとしたのは明らかなようです。

この妨害にもまったく動揺を感じさせることなくトールボリィは実に立派に最後まで歌っています。


この録音は、その後コンセルトヘボウのアンソロジーの第1巻(1935-1950)に収められていて2002年に出たもの(たぶん音質などはこれが一番いいと思います)をはじめ、何種類かの形で出されていますので、ぜひ一度お聴きになってみてください。


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Mahler: Das Lied von der Erde/Gustav Mahler
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もう一つの大戦中の録音はアルトゥール・ロジンスキィ指揮、ニューヨーク・フィルによるものです。これも非常に立派な演奏なので、きちんとした形での再発売が切望されます。


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ASdisc AS528

1944年11月19日のライヴ


この録音については、あと2点書いておきたいと思います。

まず一つ目は独唱者がトールボリィとクルマンというヴァルター盤のコンビであるということです。『大地の歌』といえばこの人たちが圧倒的な第一人者であるという定評がすでい出来上がっていたのかもしれません。

そしてもう一つ、この録音を聴いて興味深いというか何か微笑ましく感じてしまうのは、一曲終わるたびに(それも決してフライング気味ではなく)盛大な拍手が起こり、演奏者の方もそれを好ましいものとして受け止めている雰囲気が伝わってくることです。60年以上昔の録音ですから、断定的なことは言えませんが、でも、聴いているとそのように感じられてくるのです。


1939年10月5日のアムステルダムと1944年11月19日のニューヨーク、大戦中といってもおそらくいろいろな意味で対照的な状況であったと思われる中での二つの演奏が残されていたことはとても意義深いことだと思います。

そしてそのどちらでも名唱を聴かせてくれているトールボリィという人に限りない感謝を捧げたいと思います。


(注1)Kerstin Thorborgという偉大な歌い手の名前のカタカナ表記が昔から「トルボルク」とか「トルボルイ」などと不安定だったので、とても気になっていました。このたび里の猫さん にお訊きしたところ、「シャスティン・トールボリィ」というのが一番近いのではないかと教えていただくことができました。以後このように書かせていただきたいと思います。里の猫さん、ありがとうございました。

(注2)Carl Martin Ohmann(Oにはウムラウトがあります)なんですが、この人は何という表記がふさわしいのでしょうか。ご教示いただければ幸いです。


今日はアルバン・ベルクの125回目の誕生日です。


寿いでこのCDを聴いています。


アレグロ・オルディナリオ~マーラーを中心としたクラシック音楽のことなど

初期の7つの歌/ワイン/管弦楽のための3つの小品

アンネ・ソフィー・フォン・オッター/クラウディオ・アバド/ヴィーン・フィルハーモニー


今はグラモフォンのベルク全集 に入っています。


初期の7つの歌から「ナイチンゲール」(テオドール・シュトルム)をある人に贈りたいと思います。


それはナイチンゲールが

ひと晩中うたったためだった、

あたりにひびき渡る

その甘い歌声に誘われて、

ばらが咲き出でたのだった。


あの子は今までお転婆娘だった、

それがもの想いに沈むようになり、

帽子もかぶらず、手にもったまま、

じっと夏の灼熱に耐えている、

自分ではどうしてよいかもわからずに。


それはナイチンゲールが

ひと晩中うたったためだった、

あたりにひびき渡る

その甘い歌声に誘われて、

ばらが咲き出でたのだった。


(喜多尾道冬・訳)