サッカー日本に学ぶ強いチームのあり方。No1/3。 | フリーランス・個人事業主・一人社長のプロ・コーチ

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NHKBSで放送している日本サッカー50年史には

学ぶところが大きい。

メキシコオリンピックのあと

日本がなぜ勝てなかったのかを、

記録映像や当時の選手や監督への

インタビューで明らかにしていた。


メキシコの5年後に来日したとき、

日本代表の監督をしたクラマーは、

あの時のチームはもうどこにもなかったと思ったそうだ。


クラマーの伝えた世界のサッカー、プロのサッカーは、

普及しなかったのである。


主な原因は、企業の広報活動という位置から

はずれることができない実業団サッカーの役割にもあったろう。


そのころの少年達のスターはペレであり、ベッケンバウアーだった。

といっても、私には一流の技術や考え方の違いなど

わかりはしなかったのだけれど。


私はメキシコオリンピックの2年後の、

だ熱さのさめやらぬ中でサッカーを始めている。

小学校5年生だった。


おかげで、「野球よりサッカーだろ」という対抗意識が、

まだ刷り込まれたままだ。

だからJリーグができた時は、

本当に嬉しく、弾むような気持ちになった。


番組によれば、日本が勝てなかった時代、

日本はブラジルサッカーに傾倒していた。

華麗な個人技に驚き、目標としたのだ。


日系ブラジル人も来た。

ネルソン吉村。

なんて懐かしい名前なんだ。

ラモスも実業団時代に来日して、

日本サッカーに大きな影響を与えている。


技もそうだが、メンタルな影響も大きい。

ラモスは引退した今でも熱い。

松岡修三と拮抗するほど熱い。

おっと話題がそれた。


解説者のセルジオ越後も、

ブラジルから来て日本サッカーを変えた一人だ。

少年達への指導は、普及と底上げに大きな力があったらしい。

残念ながら、私は中学でキャンプ少年になってしまったので、

普及の波を受けることはできなかったのだが。


つづく