黒門から歩いて歩いて。
ようやく辿り着いた、金峯山寺の仁王門。
まだ補修工事中だった!
どうやらあと四年はかかるようだ。その時にまた訪問することにしよう。
金峯山寺仁王門の本来の姿をおさめてきました。
仁王門から右に曲がると、吉野訪問のメインの場所が待っています。
ここは二度目ですが、何回来てもいい。
吉野朝宮址。比叡山合戦に利なく、足利尊氏と和睦したのち、京都で幽閉されていた後醍醐天皇。
脱走して吉野へと逃れてきました。
そしてこの寺院勢力と天険を背景に南朝をたちあげ、北畠、新田、菊池、楠木を中心に兵を募ったほか、皇子を各地に派遣して旗頭として京都を包囲する作戦に出ます。
なお吉野は決して閉ざされた場所ではなく、修験道を利用して東の伊勢、西の大阪、南の新宮に出るルートがあり、ここを通して各地に指令が出されていました。
後醍醐天皇は尊氏という強敵がいたからこそ劣勢だったのであり、決して戦略面において無能な人物ではなかった証拠だと言えるでしょう。
ここに後醍醐天皇、そして後村上天皇が拠点を構えていたのだ。
ここに仏像が安置されています。
上の写真のものとは違うのだが…しっかりと手を合わせてまいりました。
仏舎利宝殿へと。
お釈迦様のお骨の一部を頂き、奉安したのがこちら。
中へと入ってみますか。
こちらでもしっかりと拝んできました。
つづく