中学生の時、植村直己氏の北極点到達の本を読んで、冒険に憧れたものでした。

 

 

のっけからホッキョクグマに襲撃されるなどスリル満点の物語。

とはいえ自分は寒いのが苦手なので植村氏のような極地探検なんて無理がありすぎだ。

 

極地探検の本は面白いが、自分でしたいとは決して思わない。

 

さて昨日(20日)日曜日の午前、宮城県図書館に行って何となく昭和53年の新聞記事を見ていたのです。

 

※昭和52年のニューネッシーが面白かったため

 

 

 

そしたら、例の植村直己氏の北極探検に関する記事を発見。

昭和53年だったのか。

 

 

この時、植村氏のほかに日大のパーティと、のちに「ヨット界のレジェンド」と呼ばれることとなる堀江謙一氏も北極点を目指していました。

 

日大のことは植村氏の本にも出てくるので知っていましたが、堀江氏がここに出てきたのはちょっと驚き。

 

「日本人初の北極点」なんて全然考えたこともなかったのですが、この日大と植村氏とのレース、みたいな見方がされていたんですね。堀江氏は残念ながらリタイアしています。さすがにヨットで北極海横断は無理だったらしい。

 

これらの記事を集めながら、なんとなく「アムンセンとスコット」(と白瀬)が頭に浮かびました。

 

圧倒的な装備と実力で南極を(難局を)駆け抜けたアムンセンが日大パーティ。

独自の目標に向かってコツコツと歩み続けた植村氏がスコット。

そして到底及ばずとも善戦健闘した堀江氏が白瀬矗。

 

 

4月28日、日大のパーティが北極点に到達した模様。

植村氏は「単独で」という勲章がついてくるので決して日大に敗れたとは思わないのですが、ご自身ではやはり先を越されたことに残念な思いがあったようです。

 

「日大隊が先に到達するようだというニュースを聞いたとき、やっぱりがっくりきた。」(4月26日)

 

アムンセンが先に南極点に到達していたことを知った時のスコットの気持ちとよく似ている。

スコット自身はもちろん南極点も目指していたが、彼らの目的はもともと学術の調査。だからもとから圧倒的な装備を持つアムンセンに負けることは想定していたはずでした。

 

それでもやはり、二番ではダメだったようだ。

 

スコットは失意のうちに南極点からベースキャンプを目指したものの途中で遭難死したことは知られています。

しかし植村氏は、残念な気持ちは残念として、それでも北極点を目指すことに集中しました。

そして4月30日、見事に達成します。

 

 

 

いやいや、素晴らしい。「世界初の」「犬ぞり」「単独」なのですから。

日本人の北極点第一号は逃しても、この方はそれ以上の栄冠を手にしていたのです。

 

 

本来なら意識しなくてもいいはずのライバルがいると、気持ちが乱されて無理をしがち。

でも植村氏は違った。自分のやるべきことをやる、これは簡単なようで結構難しい。

 

記事を集めながら、植村氏から大切なことを教えてもらいました。