もうすぐ義父の3回忌です。
そのためのあれこれを義母とやりとりしているからか
ここ数日義父のことを思いだします。
なんだか、思い出を語ると亡くなった方は喜ぶっていうし
私ももう一度読み返してみて改めて今生きてることのありがたさを感じたので
再アップしますね~
ご興味のない方はどうぞスルーしてねっ

2009年の10月記事より
去る10月12日月曜日
かねてより闘病中だった義父が亡くなりました
80歳でした
最後の最後まで 我慢強く 生への希望を決して捨てなかった義父でした
70歳過ぎてからいちご作りに目覚め
その驚異的な精神力と体力で
見事な出来栄えのいちごを作り
遠く千葉県に住む孫たちのために何度も何度も箱詰めにして新鮮な
いちごを送ってくれました
そのいちごのお世話のためにめったに家を空けることが
できなかった義父が 針治療のために
昨年夏から、亡くなるほんの一ヶ月前まで 一人で新幹線に乗って
何度も何度も遠い我が家へ足を運んでくれました
お義父さん
主人も子供たちも出かけた後の我が家のリビングで たくさんたくさんお話したね。
神も仏もないと思っていた義父 死んだら無になると考えていた義父
見えない世界なんてある訳がない、宗教なんて 人をだますものだと
昭和ひとけた生まれらしい頑固さで信じていたね
今、どんなことを感じているのかな
ちょっと聞いてみたいな
火葬場で、本当の最後のお別れをしたとき
一番、お義父さんの心配の種だった三男が(義弟)
見せた顔はいまだに目に焼きついています
お義父さんの顔の両脇に両手をついて
顔を真っ赤にして
歯を食いしばって こめかみに血管をうかせて
ぐっとお義父さんの顔を覗き込んで
心の中で
たくさんのたくさんの 感謝の言葉と 懺悔と
そして これからの誓いをたてていたのかな
病院で見取った時は義母と一緒になって号泣したらしいけれど
もう泣かない と自分で言ったとおり
この最後のお別れのときは 涙は見せなかったね
それでも 私には 心の中 身体の中 すべてに
万感の想いのこもった涙があふれていたように見えたよ
亡くなって初めて親のありがたさに気がつくというけれど
特に義弟たちは あまりにたくさんのことに
気がつかされたのだろうと思います
周囲からは 義弟たちに甘すぎるといわれても
子供をかばってかばって
身体がいうことを利かなくなってきても
なんとか 子供のためにと がんばってきた 義父
義母にはきつく あたっていても
嫁である私や孫たちには 本当に本当に いつも優しくしてくれました
最後に我孫子に来たとき
お義母さんに優しくしてあげてね って言ったこと
実行してくれたかな お義父さん
きっとこれが最後になるだろうと
子供たちを連れて主人と4人で病院に行ったとき
もう目も見えないのに
ベッドを起こすようにお義母さんに 言って
一生懸命に 目を見開いて 孫たちの姿を
見ようと してくれて
運動会の様子を語る私の言葉に
「○○ 優秀や・・」
と かけっこ一番だった娘のことを
褒めてくれて・・
今年の運動会も見にいきたい
けど 今年は無理そうやな
ってつぶやいていた言葉を思い出します
主人や子供たち 義母が用事で外出して
小一時間ほど病室で二人になったとき
ずっと眠っていてそばに私がいるなんて
気がついていないだろうと思っていたのに
急に両手を自分の顔の口元あたりにあげて
ひらひらと動かしたので
何かが欲しいのかと顔を近づけてみたら
小さな小さな声で
「・・・みそしる・・・・みそしる・・・」
ってつぶやいて
そのとき あっと思い
「お義父さん、おみそしる美味しかったねぇ」
って話しかけたら 義父は小さく こくんこくんとうなづいてくれて・・
うちに来るたびに
私の作るお味噌汁を 美味しいなぁ 美味しいなぁ
味噌がちがうんやろか?
ほんまに美味しい味噌汁や
と 何度も何度も 褒めてくれたのを思い出したのです
何のへんてつもない ごくごく普通のお味噌汁だったのに
ありがとう お義父さん
心づくしの自分で作ったお漬物や 焼き鮎や
畑のスイカや 最高のはちみつや
わざわざ買ってこなくてもこちらでも普通に売っている
孫たちへのお土産の飴やキャラメルなどの駄菓子
もう最後だと自分で悟ってからは本当に早かったね
お義父さんは 神様を否定していたけれど
人は死んだら灰になるだけだと信じていたけれど
私はそうでなく 続きがある と思っているの
肉体は限界があるから 少しでも楽に
執着がなく あちらへわたって欲しいなぁと
最後は心よりお祈りしていたよ
でも 面と向かってはなかなかに言えなかったけれどね
無になるって信じているお義父さんに
そんなことは・・
お葬式は無事に終わりましたよ
お義父さんが 息も絶え絶えになってから
葬式の準備や・・・って心配していた意味がわかったわ(笑)
本当に 大変ね、田舎のお葬式は
何から何まで 出来ることはほとんど手作りで
いったい何人の ご近所や親戚縁者が かかわったんだろう
朝から晩まで 常に人でごった返していて
やらなくちゃいけないことてんこ盛り
お義母さんなんて 泣いたり 怒ったり
あっちこっちと用事を済ませるのに
悲しみにひたってる暇もないほど・・
(でも 隙を見てちゃんと泣いていたよ)
お義父さんが すべてを教えこんだ
親戚のおじさんが 立派に葬儀委員長を勤めてくださいました
おかげで
私たちは 言うとおりに動けばよかったから助かりました
長男の嫁として
私も 結構 がんばりましたよ
褒めてくださいね(笑)
お義父さん
秋の空はきれいだね
透き通っているね
これからは
この お空の上から
私たちをサポートしてくださいね
お義父さんは 超がつく頑固者で
自分がこうと決めたら誰がなんと言っても
変えない人だったけれど
自分には とっても 厳しい人だったけれど
他人には 本当に優しい人でした
本当に 本当に ありがとうございました
そして あえて
これからも どうぞどうぞ よろしくお願いしますね
と 言わせてください
そちらからは こちらが良く見えるというから・・