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January 30, 2006

掲載誌

テーマ:PRESS(掲載誌)

先月号に引き続き、今月号のFree&Easyにも商品が掲載されています。お時間あるときにでも、見てみてください。(49、57、63、91ページに出ています。)

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January 28, 2006

USA放浪記 10 The Salvation Army での悲劇2

テーマ:USA放浪記{回想}

つづきです。(詳しくはUSA放浪記9をお読みください。)


警官は80枚の$100紙幣の番号をすべて控え(同じ番号のものがないか確認)ます。(盗むなよ~)この、野郎(おまわり)と、思いつつも、おとなしく待ちます。台湾系だと思われる店員のおばさんは僕のパスポートをみて(日本人だと知って)「日本人はそんな、悪いことしないわよ~」と言います。(おお~なんていい人!その通り!お前は偉い!)心の中で、つぶやきます。同僚のメキシカンらしき、ねーちゃんは、完全に疑いのまなざしをこちらに、向けています。(おまえはしね!)


お金を数え終わった警官は、「この金どうした?」と聞きます。「LAの銀行口座から、昨日おろしました」答えます。(当時、LAのSANWA BANKに口座を使ってました)。そうだ、銀行にTELしてもらえばいいんじゃん!警官に連絡してもらいます。警官は銀行員としゃべること5分。電話を切ると、ニヤリとして、「You are Free now!」。はぁ~良かったと思うと同時に、怒りがこみ上げてきます。見ると店のマネジャーは、何事もなかったかのように、裏へと退散しようとしています。ぼくは、追いかけていって後ろから、とび蹴りを食らわしたい所ですが、「I am going to sue you!!」と捨て台詞をはくにとどめます。(ああ~くやしい!)こんな店二度とくるもんか!銀行員が、色々、警官に説明してくれたみたいで(本物の紙幣でも、消しゴムで多少薄くなること、実際に僕が口座をもっていて、本当にお金をおろした事等々)今回は助かりましたが、お金を日本から持ってきてたら、調べるのにもっと時間かかったかな~(嫌疑がはれる迄、JAILなんて事もあったかも。。)と想像すると、ゾッとします。


最近でこそ、$100紙幣で、買い物する人もたまに見かけますが(実際アメリカでは、カードかパーソナルチェック=小切手を使うのが普通で)、当時$100紙幣なんて(高級店ならまだしも、スリフトで)使っちゃいけなかったんですね~。1992年 秋。

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January 27, 2006

USA放浪記 9 The Salvation Army での悲劇

テーマ:USA放浪記{回想}

USAには、いたる所にThrift Shop(直訳すると倹約の店)よばれるリサイクル・ショツプがあります。もともと、貧困層の人々を救済する目的で、宗教団体や慈善団体等が、ドネーション(寄付や廃品回収)等で品物を集めて、安く売っている店です。(最近では、営利目的の比較的値段の高い店もあります。)リサイクル・ショップというと聞こえがよいですが、中古の下着とかソックスとかまで売っていて、かなり、汚く異臭のするような地獄の店もあります。お金持ちは、まず行かないような場所です。The Salvation Army (救世軍:日本にもある宗教団体)もスリフト・ショップをやっていて全米、どこにでもあります。


1992年 秋、サンディエゴ。今回もLAを出発して、車(アストロ・バン)がいっぱいになるまで、品物を探す旅に出発しています。デッドストック物を探しているので、たまにしかスリフト・ショップには、行かないのですが、たまたま入ったサルベージョン・アーミーで事件は起こります。。。


買い物を終え、代金($25位)を$100紙幣で支払います。お釣がないからとマネージャーが、裏に消えて待つこと約10分。「遅いな~、両替でも行っているのか~?」と思い店内で待っていると、店の外に、すごい勢いで、パトカーが3台停まりました。(サイレンは鳴らしていません)「なんだ?事件か?」と思っていると、なんと警官3人(いかつい白人2人 黒人1人)、店内へ入ってきます。ここで、店のマネージャーが再び登場。すると、警官は自分の方に向かい言います。「持ってるもん、全部出しなさい!」 「ハァ~?」こっちは事態が飲み込めず、とりあえず、財布・パスポート等を出します。警官、曰く「おまえが、偽札使ったという通報があったから着た」との事。ようやく事態を把握した私は「やべ~、偽札使った犯人にされてるよ~」スーっと血の気が引いていくのがわかります。店のマネージャーは「裏でこの紙幣を消しゴムで消してみたら、紙幣の印刷が消えた!本物だったら、消えるはずがない!」と警官に向かって興奮状態でまくしたてます。僕は、「こいつ殺す」と心の中で、つぶやきながらとりあえず、警官の質問に答えますが、$8000ほどキャシュで持っていて、疑いは強まる一方です。やばい~。絶対絶命のピンチ!! 次回へ つづく。



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January 26, 2006

ハシディム派(ユダヤ教徒)の人々(かアーミッシュ)

テーマ:USA

ハシディム派(ユダヤ教徒)の人々といえば、NYとかブルックリンとか辺りにコミュニティをつくって暮らしているの有名ですが(ブルックリン辺りで、良く見かけます。)

※夏でも、黒い帽子に黒いコートでモミあげに顎ヒゲを長くのばしている人たちで、ユダヤ教徒の中でも、厳格なハシディム派に属する人達です。厳しい戒律を守って、昔ながらの生活しています。


前回(昨年11月に)、アメリカを田舎を回った時(インデアナ州、北部)、すごい町(Shipshewana という町です)に迷い込みました。なんと住民の多くが、馬車を使っていて、普通の道路(舗装してある道)を馬車が普通に何台も走っています。「おいおい今年って、2005年だよな~?」最初は観光用の馬車かと思ったんですが、こんな田舎に観光客がたくさんくるわけないし、みんな同じ格好(男の人はヒゲをはやし、黒装束に黒い帽子をかぶっていたので)昔ながらの暮らしを今もしている人たちなんだ~と、妙に納得。都会では割とよく見かける人たちだけど、田舎町では見た事なかったのでかなりカルチャー・ショックを受けました。(運転中だったので、写真がなく残念です。しかも、馬車がたくさんいて危なくて、それどこじゃなかった。)

アメリカは世界で一番多くのユダヤ人が住んでいる国で、ウッディ・アレンとかダスティ・ホフマンとかが有名ですが、完全にアメリカ人として生活している人からコミュニティの中だけで生活している人まで、ユダヤ人ひとつとっても本当にいろいろな人がいますね~。


※もしかしたら、アーミシュ(Amish)かとも思ったんですが、イメージ的にアーミッシュは麦わら帽にオーバーオールを着ている感じなので、ユダヤ教徒の人達だとおもいます。(間違っていたらスイマセン)因みにアーミッシュはキリスト教徒の一派で、電気とか電話を使わずに生活している人達。もしかしたらこっちかも。わかりません。


★後でちゃんと調べたらアーミシュでした。スイマセン。この辺は大きいアーミシュのコミュニティがあるんだそうです。

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January 23, 2006

USA放浪記8 NY 3

テーマ:USA放浪記{回想}

話はNY(92年、夏)に戻ります。(詳しくはUSA放浪記6~7をお読みください。)

相変わらず仕事そっちのけで、観光客と化した私です。本日はハーレム方面に向かいます。きれいな建物もできつつありますが、まだまだ、落書きとか廃墟も目立ちます。思っていたほど、黒人が多いわけでもなく、身の危険は感じません。個人的には、自分がアジア人のせいか、色々な人種が雑多にいるほうが落ち着きます。逆に田舎町なんかで、レストランの自分以外の客が、全員白人(もちろん逆でも)とかだと、かなりひきますね~。



人だかりが、できているので足を停めて、撮影。シャッターに絵を描いている黒人のオジサン。あとで、知ったのですが、このオヤジ ミスター・フランコという人でかなり有名人アーティストのようです。(TVに出ててビックリしました。)



ハーレムに来てみたかった最大の理由は、アポロ・シアターです。言わずと知れた、ブラック・ミュージックの殿堂で、多くの歌手がここから、有名になってます。水曜日にやっているアマチュア・ナイト(アマチュアの歌手とか音楽家が、厳しい予選を勝ち抜いて出場するライブ・ステージ)から、ローリン・ヒル、ホイットニー・ヒューストン等の大スターが生まれています。当然、写真撮影します。「おお~アポロ」この場に立っていることに、感動しつつ、売店にて、Tシャツ、マグカップ等買いまくります。ここの、Tシャツは当店でも扱っていますが、(この後も何度か訪れましたが、数年前に行った時には、Tシャツのデザインがダサく変わっていて、旧ロゴタイプはもう売ってません)かなり人気があります。(宣伝です。)http://lubys-tokyo.com/apolloTee_.html
1992年 夏。


商品名:APOLLO T アポロ・シアターTシャツ
開始価格:4,095円
開始日時:2006年02月11日 17時54分
終了予定日時:2006年02月21日 00時54分




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January 22, 2006

USA放浪記 番外編 2

テーマ:USA放浪記{回想}

大学に到着。施設の使い方、規則等の簡単な説明を受け、入寮します。2日後、ついに行方不明だった、トランクも到着。やっと人並みの生活が送れるようになります。


相変わらず、言葉は通じず、頼るはボディ・ランゲージのみです。虫刺され用のぬり薬を、買いに行った際には、「モスキート、ブ~ン(蚊が飛んでいる音)バシッ!(蚊を叩いた音)アフター、ジェル、ジェル(薬を塗るまねをします)」という具合の新しい技(英語単語まじりの、ボディ・ランゲージ)で、見事、薬をゲットします。教訓:英会話は英語力がなければ、度胸と根性で何とかなります!(しかし、かなり恥ずかしいのは覚悟してください) なんとか、ならなかったのが広すぎるキャンパスです。何度迷子になったことか。。その広さといったら、大学の中に町があるんじゃないの?と思わせるほどです。


生活に、慣れてくると町にも出ます。ボルダー・マウンテナーというアウト・ドアショップが、すぐ近くにありよく訪れました。(その後、日本にも入ってきたので、ご存知の方も多いと思います。)本物志向の店で、登山用品はかなり揃っています。ロッキー山脈もすぐそばのボルダーにあったため、いつもにぎわってました。ここの、オリジナルTシャツがかっこよくて、当時しこたま買いましたね~。数年前にこの店は、閉店したらしいのですが、いい店だったので、残念ですね~。1987年 夏。


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January 20, 2006

USA放浪記 番外編 初アメリカ

テーマ:USA放浪記{回想}
大学時代に、コロラド大学のボルダ-校のサマースクールに、参加しました。2ヶ月半程の期間で、夏休みでからっぽの大学の寮に住んで英語を勉強するものです。これが、初海外でこの時の経験なくして、現在の自分はありません。(このとき、アメリカ行って無かったら、もしかしたら別の輝かしい人生があったのかも。。。笑)

初海外でかなり興奮して向かうのは、ボルダ-/コロラド州です。成田よりシスコ乗り換えの後、デンバー空港に着きます。いきなり、僕のスーツケース(2ヶ月分の着替え等すべてが入ってた)だけ、回転台より出てきません。「おいおい、まじかよ~」と思っていると、日本から引率の(ロバートという米国人)先生に、「英語で荷物が出て来ないのを、空港の人に伝えて来なさい。英語を勉強しに来たんだから、(スーツケースなくなって)あなたは運がいいよ」(日本語で/このオヤジ日米語堪能)と嫌味を言われます。
この野郎、人がほんとに困ってるのになんて奴だ!と思いつつも渋々、英語を喋ってみますが、(いきなりできる訳もなく)ハ~ン?何言ってんの?という顔をされるだけす。(こっちの顔も引きつってきますが)とりあえず、クレイム・タグを見せて、あとは華麗なボディ・ラングゲ-ジでなんとかこの場を切り抜けます。

荷物は見つからないまま、バスはボルダ-に向かいます。時差ボケとスーツケースのない不安で、景色を楽しむ事もなく(周りの友人は盛り上がってます)車中で眠りにつきます。1987年夏。つづく→USA放浪記 番外編2


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January 19, 2006

USA放浪記7 NY 2

テーマ:USA放浪記{回想}

はじめての、マンハッタンで、完全に舞い上がってしまった私は、仕事そっちのけで、気分は観光客(完全におのぼりさん状態)です。(実際に、ほとんど発見はなく、仕事上は時間とお金の無駄でした。個人的な経験としては、かなり楽しかったです。)

自分のイメージの中でのアメリカは、どこまでも続くハイウェイとか、カーボーイとか、どちらかと言うと西海岸とか、テキサスのイメージだったので、眼前に広がるのはまさに、別世界です。



驚いたのは、街を歩いているとしょっちゅう、時間を聞かれたり、道を聞かれたりすることです。(本当は、こっちが、道を聞きたいんだ!)NYに限ったことではないと思いますが、フランクで明るい人柄はアメリカ(人)って、良いな~と、思わせます。(本当に良い人かどうかは、わかりませんが)言葉と文化が違うアメリカにいると、自分もあらゆる場面で、日本にいるより、より積極的になれるような気がします。


本日、仕事はオケラでした(涙)。1992年夏。


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January 18, 2006

USA放浪記6 NY

テーマ:USA放浪記{回想}

1992年夏、はるばるカリフォルニアから、NY迄やってきました。車でマンハッタン近くまで来ると、高速は細いし、複雑で(古くて壊れそうな橋とかもあります)かなりビビッて顔はこわばり、ハンドルを持つ手にも、しらずしらずのうちに、力がはいります。東海岸独特の雰囲気(建物も古くて、どちらかというと、ヨーロッパ的)は、かっこよくも有り、ちょっと気後れする怖い感じもします。


マンハッタンが見えました!あまりの大都会っぷりに、、「マンハッタンすげえ~」思わず、車中で叫んでしまいます。とりあえず、車を降りて、記念撮影。(そのときの写真です。)今はなき、ツイン・タワー(ワールド・トレードセンタービル)も、空にそびえ立っています。このときは、時間がなくって、ワールド・トレードセンタービルに登らなかったんだけど(いちおう仕事できているし)、あんな事(9・11テロ)になるなら、登っておけばよかったと今ではかなり後悔してます。ツイン・タワー下までは、いったんだよな~。


マンハッタンは、ホテルも高そうなので、本日とりあえず、ニュージャージー側に泊まり、作戦を練ることにします。(当時、初めてのNY・大都会で、しかも一人っきりで、かなり、心細くなっていました。あぁ怖かった。)

次回、マンハッタンレポート(1992年当時の)につづく。

( ̄д ̄ノ)ノ http://www.lubys-tokyo.com
USA放浪記 アーカイブス はこちら。
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January 16, 2006

アメリカのハイウェイ

テーマ:USA

車社会のアメリカでは、道路事情もよく高速も一部を除いてほとんどタダです。道路も都市部を除いては、ご覧の通り空いていて、いつの間にか、スピードが80マイルも(約130km程)出ていて、慌てて減速することもあります。(ちなみに、州により異なりますが、高速の制限速度は65-70マイル位です。)あまりの、快適さに、日本の暴走族(走りや)のおにいさんを連れてきて、「さあここで、すきなだけ走りなさい」と言ってみたいな~なんて、馬鹿げたことを考えたりします。(実際、ここでは暴走族らしき車は、ほとんど見ません。広くて、果てしなく続くハイウェイは、「そんなに速く走っても仕方ないや」という様な、あきらめにも似た気持ちにさせます。)


長い距離を走っていると、たまに警察にも、捕まります。昼間は割りと問題ないのですが、夜のハイウェイで、追いかけられるとかなりビビリます。慌てて、道路脇に停車しバックミラー越しに見ていると、警官は必ず、ピストルを構えてこちらに向かってきます。「おいおい、何もしないから、鉄砲はやめてよ~」と思いつつも、じっとして、手はハンドルの上に置いておきます。このとき、人の良い日本人は慌てて、免許を出そうなどど考えてはいけません。内ポケットに手でも入れようもんなら、鉛の玉が飛んできても文句は言えません。あとは日本と同じようなもので、とりあえず、免許とレジストレーション(車検証のようなもの)を見せて、(本人の車だと、確認できると、かなりなごんだ感じになります)反則切符をもらって、さよならです。しかし、交通違反で拳銃構えることは、ないだろとおもうのですが。。。(僕の場合、カリフォルニアナンバーで他州を走り回っていたので、特によく停められたのだと思います。レンタカーだと、めったに停められる事はありません。)


日々の、生活(車と地図は必ずつかっていた)で、発見したのですが、アメリカのハイウェイは、すべて南北に走る道は、奇数番号、東西に字は走る道路は偶数番号になっているようです。画像でもシカゴ(北)へ向かうのは57号(インターステイト)、セント・ルイス(西)へ向かうのは、64号という具合です。これなら、道に迷っても、自分が南北の線上にいるのか、東西の道の上にいるのか位はわかります。合理的というか、まあ数百年まえから、なにもない広大な土地を開拓したのだから、当然かも知れませんが、日本の道(たぶん、日本の国道はできた順番に数字がつけられてると思います)に比べて、かなり、考えられて造られてますよね~。

画像は1992年、夏。

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