【訪問日】 2013年10月29日
結構な雨が降る中の撮影となった、廃校。
有名物件である、廃校・堅海小学校。
小学校として知れ渡ってるけど、一時期、中学校の分校も併設され、小・中学校の期間がありました。
「玉 磨かざれば 光なし」
この歌碑の裏に、中学校分校の沿革が、大雑把に記されています。ホント、大雑把に。
現在、残っている校舎の他に、2004年まで体育館や給食室などもありました。
校舎に向かって左側に、かつて給食室が繋がっており、1枚目の写真の左側の屋根の形が残ってる所が、渡り廊下の繋ぎ目で、校舎と直角になる配置で、体育館がありました。
給食室の裏にあたる位置にあった古い消火栓。
渡り廊下の裏付近にある井戸。
児童が泥んこになった足なんかを洗ってたんですかね?
校舎裏側。
解体された給食室側からの眺め。
現在、校舎は市の倉庫として使用されてます。
学校らしい標語。
給食室入口の引き戸だけ残って、すぐに後付けされた外壁になってました。
グラウンド跡。
広いので、伸び伸びと走り回って遊べたんでしょうね。
お決まりのカラフルタイヤ。
校舎入口。
さっきとは反対側から。
非常口①が無施錠でした。
「お邪魔します」といきたいが、色んな学校時代の備品が山の様に積まれています。
保健室のベッドまでありました。
しかし、侵入者は居る様で、黒板には無数の落書き。(ピントズレ失礼。)
片側教室。
因みに、非常口①から、少しお邪魔した、この教室は理科室でした。
アルコールやら何やらが残されてました。
このシャンパンタワーのグラスみたいなのは、何?
理科室には付き物のホルマリン漬け。
カニ?ムカデ?昆虫?
こっちは、内蔵系っぽい。
どっちもラベルが無かったんで、中身は不明です。
校門から。
<沿革>
明治7年(1874年)6月 海恵寺境内に涵養(かんよう)小学校として開校
明治19年(1886年)5月 簡易科涵養小学校と改称
明治25年(1892年)5月 涵養尋常小学校と改称
明治35年(1902年)2月 第二内外海(うちとみ)尋常小学校と改称
明治39年(1906年)4月 堅海尋常小学校と改称
大正15年(1926年)2月 堅海尋常高等小学校と改称
昭和16年(1941年)4月 遠敷(おにゅう)郡内外海村立堅海国民学校と改称
昭和22年(1947年)4月 遠敷郡内外海村立堅海小学校と改称
5月 遠敷郡小浜町立小浜中学校堅海分校を併設
昭和26年(1951年)4月 小浜市立堅海小学校と改称
小浜市立小浜中学校堅海分校と改称
昭和46年(1971年)3月 小浜中学校堅海分校が本校に統合
平成3年(1991年)3月 小浜市立内外海小学校に統合され、閉校
閉校時在校生:30人
途中、全焼したり、移転したりで何度か建て替えられているので、現在残っている校舎は昭和29年(1954年)建立の4代目になります。






















