日テレで月に一度、朝6時から15分だけやっている、「皇室日記」
開始から5分経ってから見たのですが、多分両陛下が能登を訪問されたことから、被災者の方の反応みたいなテーマだったと思います。
前史雄(重要無形文化財(沈金) 漆芸家)
私が、あ、そうだ!と気づいてテレビをつけたとき、能登の83歳の前史雄さんという漆芸家の方がお話しているところでした。
陛下のお誕生日の映像で輪島塗りの大きなお皿が飾ってありましたが、それがこの漆芸家の作品だったそうで、それを見たときは驚いて感動したそうです。
朝市の市街地が丸焼けになり、そこにアトリエをもたれていたその方は、作業する場所や作品、道具もとすべてを失ってしまいました。
でも、自分の作品を飾ってくださった陛下のお気持ちを感じて、続けていく気力を持つことが出来たのだそうです。
現地で取材して話すのは井上茂男さん(日本テレビ客員解説員)
この後、3月末の敬宮さまの伊勢と奈良の参拝のご様子が流されました。
鳥羽駅ホームにご到着された時の様子、伊勢神宮参拝の様子などでしたが、ちょっと聞き取りにくかったですが、え?まさか?と思ったのが、外宮で「多くの人が集められ」と聞こえた気がしたことです。
多くの人が集まって、だと思うのですが。
私の聞き間違いならいいのですけど、一応覚えておいて次回に生かしたいと思います。
そのあとは、神武天皇陵と橿原神宮前駅での奉迎の様子でしたが、ここはもう貶めようがない圧倒的な歓迎でしたから、そのまま伝えていましたね。
奉迎を終えた子供たちに感想を聞いていて、男の子は「良い記念になりました」女の子は「かわいかった」でした。
すごくいいお顔をしていたので、感動したことが伝わってきました。
テレビ局もスルーするわけにいかない、ある意味異例の?というよりは世紀の大フィーバーでしたからね。
皇室の歴史に残るストーリーですよ。
22歳の若さで、なにも意図せずありのままをさらっとなさっただけで、多くの国民の心を一瞬でつかみましたからね。
今思い返しても、夢のような魔法の世界のような日々でした。
令和絵巻?
プリンセススマイル
こちらは一般の方が撮られたもの、使わせていただきます<(_ _)>
鳥羽駅に到着されて、お車に乗られるところですね。
それでですね、こちらは当ブログの読者様から教えていただいた情報です。
玉川大学のwikiに驚くようなことが書かれているとのこと。
玉川学園の始まりですね。
- 1929年 - 小原國芳らによって財団法人玉川学園設立。玉川中学校(学園内での通称:中学部)・玉川学園小学校(小学部)玉川学園幼稚園(幼稚園)を設置。玉川学園教育研究所を設置。
- 1939年 - 大学設置に向けて中学校・高等女学校の上に玉川塾(専門部)を設置し、森矗昶の協力を得て産学連携による実践教育を開始。
wikiのこのブルーのマーカーのところをポチっと押すと、ここが出てきます。
実際のページにはあのマコさんそっくりの写真があります。
森 矗昶(もり のぶてる、1884年〈明治17年〉10月21日 - 1941年〈昭和16年〉3月1日)は、日本の実業家、森コンツェルンの創設者、衆議院議員。千葉県出身。従五位勲四等。元衆議院議員・岩瀬亮は弟。息子に、政治家の森曉・森清・森美秀、女婿に安西正夫(長女・満江の夫)・三木武夫(次女・睦子の夫)・田中覚(三女・三重子の夫)がいる。森英介(美秀の息子)・安西孝之(満江の息子)・高橋紀世子(睦子の娘)・松崎哲久(三重子の息子)は孫にあたる。
少年時代からの実学で知識と技術を体得し、時にヤマカンともよばれる事業に対する嗅覚によって化学工業の先達となったたたき上げの実業家であった。また何度となく輸入製品との競争に泣かされたことから、国産主義者でもあった。野口遵、鮎川義介などと共に、当時「財界新人三羽烏」として並び称されていた。
これだけご立派な親戚がいる🍁の実父さまですから、そりゃ、息子がトーダイに入れなかったらここへ、ということも簡単にできますね。
そして先日の春休みの動画への協力も、安易にお願いできそうですね。
そういうのフルに活用しての誤魔化しです。
こちらは鹿児島にもカナダにもキャンパスがあるそうですから、カナダに行かれることもいいかもしれませんね。
お母さんとできるだけ離したほうがいいと、素人考えですが思ってしまいます。
大ニュース!
今YouTubeのホームを見たら、今夜の篠原さんの配信がこれだとわかり大興奮!
A宮とタイ王女!
キーコの出自!
みんなエリザベス女王に報告されていた!
英国公文書を開示請求してみたよ!
ヤバいよ、ヤバいよ