1995年、2年前初産駒のウイニングチケットやベガのクラシック戦線での活躍で一気に一流種牡馬入りしたトニービン。


そのトニービン産駒からこれまたすごい馬が誕生した。


エアグルーヴである。


新馬戦こそは2着に破れたものの2戦目は楽々と逃げ切りを飾って勝利した。


新聞を見ずに映像の画面だけを見たわたしはその体型を見て、てっきり牡馬だと思った。


しっかりした腹回り、背中から腰にかけての骨太感はとても牝馬とは思えなかった。


牝馬と気づかずに「これで来年のダービーはこいつで決まりだな」そう、思ったくらいである。


それから暮れの阪神3歳牝馬S(現阪神ジュべナイルF)では


手綱をとっていた武豊騎手がお手馬の中からイブキパーシブを選んだため騎手がM・キネーン騎手に変わった。


この年の3歳(現2歳)戦には素質・才能の豊かな牝馬が集まっていた。


しかも、そられのほとんどが新馬戦で武騎手が乗るという異常な現象が起きていた。


だから、GⅠレースになると、武騎手に選ばれない馬がでてくる。


選ばれなかったからといって、その馬がけっして劣るものではない。


現にこのときの阪神3歳牝馬Sは勝ったビワハイジ、2着になったエアグルーヴともに武騎手が選ばなかった馬である。


結局、武騎手が乗ったイブキパーシブは3着だった。


レース後、エアグルーヴに乗ったM・キネーンがこんなことを言った。


「この馬は世界にいってもGⅠのひとつやふたつ勝てるよ」


M・キネーンといえば凱旋門賞も勝っている世界の名騎手である。


そんな騎手が褒めるのだからエアグルーヴはすごい!と当時のひとは思わなかった。


当時関係者はスーパージョッキーシリーズで招待で来日したキネーンのリップサービスくらいにしかとらなかったのである。


そんな言葉も忘れかけた3月、エアグルーヴは休み明けのチューリップ賞を5馬身差で圧勝する。


このとき手綱をとったのはO・ペリエ騎手だった。


しかし、4月の桜花賞時にはペリエ騎手は日本にはいない。


さあ、困った、となったのがエアグルーヴの伊藤雄二厩舎(今年2月で勇退)である。


新聞も前哨戦を5馬身という圧倒的な差で勝った桜花賞の本命馬の騎手がいないと騒ぎ立てた。


桜花賞を目前に控え、突然エアグルーヴの騎手が決まる。それは武騎手だった。


イブキパーシブに乗る予定だった武騎手がエアグルーヴに変更になった。


今度、困ったのはイブキパーシブ陣営。騎手が直前でいなくなった。


しかし、神様はきちんと用意してくれているものだ。


前年、ケガで休んでいた南井克己騎手(現調教師)が復帰してきたのだ。


ちょうどというか、渡りに船というか、南井騎手には桜花賞で乗る馬がいなかった。


イブキパーシブは南井騎手に決まった。そしていよいよ、桜花賞。しかし、すんなりとことははこばなかった。


桜花賞前にエアグルーヴは発熱、回避せざるをえなくなったのである。


そして皮肉なことにイブキパーシブはエアグルーヴの出られなくなった桜花賞で2着に食い込む。


エアグルーヴにとっても武騎手にとってもついていなかった。


その後、エアグルーヴはオークスを快勝してGⅠ馬となる。


これだけならこの馬が歴史的名牝と呼ばれることはなかったのかもしれない。


秋の秋華賞でレース中に骨折、その後休養にはいる。


翌年、復帰するとマーメイドS、札幌記念を連勝、そして秋は最大の目標、天皇賞に挑む。


それまで牝馬の天皇賞制覇はプリティキャストが大逃げで勝った1980年以来なかった。


エアグルーヴが勝てば17年ぶりの快挙だった。


その前には前年の覇者・バブルガムフェローと岡部騎手が立ちはだかっていた。


中距離では無類の強さを発揮するバブルガムフェロー。得意の東京競馬場で2連覇濃厚と思われていた。


唯一、バブルを破る可能性があるのはエアグルーヴという程度で、エアグルーヴが勝てる確率を高く見る人は少なかった。


しかし、勝っちゃたんだなあ、これが。


直線で抜け出したバブルガムフェローにエアグルーヴは怯みもせずに襲い掛かり、これを破った。


レース後の武騎手のコメントが喜びを表していた。


「現役最強牝馬だと思ってましたが、これでこの馬が現役最強馬なんですね」


初めて見たときに感じた男勝りな姿はこのためだったのかと思わざるをえないほど、


エアグルーヴの走りには牡馬牝馬の枠を超えた強さがあった。


母としてアドマイヤグルーヴも輩出してますます名牝の度合いは強くなる。


これからも名牝エアグルーヴとして競馬界に優秀な遺伝子を送ってほしいとせつに願う。



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