こんばんは。黒影@恋愛戦略家です。
朝から雲ひとつないいいお天気で、日陰にはいると涼しい風が気持ち良くて…それだけでなんだか得した気分になれるぐらい。
そして今日は陰暦の8月15日、つまり「中秋の名月」。(※ちなみに「仲秋の名月」という表現もあるけど、これだと陰暦の8月全体の月を表す。)
さらに満月で見られるのは、2011、2012年に続き3年連続なんだけど、2010年代ではこれが最後で、次に見られるのは、なんと8年後の2021年だそうだ。
せっかくだから、窓を開けて、綺麗なまん丸お月さまを眺めてみるのもいいかもよ。
「月が綺麗ですね。」
夏目漱石が英語教師をしていたとき、生徒のひとりが「I Love You.」を「我、汝ヲ愛ス」と訳したところ、
「それはおかしい。『月が綺麗ですね』程度に言っておけば、まともな女なら、それで伝わるはずだ。」
と言ったという逸話がある。
また、二葉亭四迷は「I Love You.」を「(あなたのためなら)死んでもいい。」という訳をあてたとも言われている。
どちらも出典が明らかじゃないから、まぁ…後世の創作の可能性も高い。
でも、「愛している」という、西洋の直接的な愛の表現に比べて、「慕う」とか「焦がれる」という表現を良しとする、日本人の奥ゆかしさを感じる面白い逸話だ。
photo by mnchilemom
残念ながら今であれば、こんな周りくどい言い方をしたら、相手には伝わらないかもしれない。
それこそ…「はっきり言ってよ。」って(^_^;)
こんなめんどくさいことをせずに、ただ直接「好きだ」「愛してる」って言えばいいじゃん…ってことなんだけど、それじゃあ、言葉に縛られて、ほんとの「想い」を伝えるには限界がある。
やっぱり、直接的な言葉で、理路整然と「説明」するんじゃなくて…愛だの恋だのを語る側も、語られる側も、こういう感性って大事にしたいもの。
だって恋愛って、言葉だけじゃなくて、目に見えるもの、見えないもの、そして自分や相手そのものを信じて、その裏側にある想いを共有することなんだから。
絵を描くときは、いろんな描き方がある。
たとえば、人物を描くとき…鉛筆や筆で輪郭を描いて、対象そのものを絵にする…という方法もあれば、人物の周りにある「背景」を描くことで、対象を浮き立たせるように描く…という方法もある。
また、デッサンなんかでは、木炭や鉛筆を使って描画するわけで、当然のことながら色のないモノクロームの世界だ。
唯一「色」として使える黒で対象を描くんだけど、白い部分は、何もない…のではなく、そこには空間や光があって、それを描いている…という考え方をする。
「I Love You.」をどう訳すか…って話も、言葉をそのものを直接的に捉えるのか、それとも、その言葉の背景にある「言葉にならない『想い』」を汲み取るのか…。
「情報を伝達する」という機能だけであれば、言葉は直接的で簡潔なほうがいい。
だけど、ボクらの心のなかにある「想い」は、カタチもなく、言葉にならないことのほうが多い。むしろ、直接的な言葉にしてしまうことで、省略・歪曲・一般化されて、こぼれ落ちてしまうものだったりする。
恋愛だけでなく、仕事でも、プライベートでも、どんな場面でも、コミュニケーションで使われる、言葉の裏側には、必ずそれを伝えたい人の想いがある。
言葉は便利だけど、すべてを伝えることはできない。文字通りの意味だけじゃなくて、想像力を駆使しなきゃ、その真意を知ることさえもできない。
だからこそ、ボクらは目に見えなくて、カタチにならないものに想いを巡らせ、相手を慮り、「月が綺麗ですね」に愛を感じる…っていう感性を磨かなきゃダメなんだ。
いま、窓を開けて見上げると、そこにはまん丸のお月さま…。
たとえ離れていても、同じ時間、同じ月を見上げてお互いを想う…キミは、キミの想いをどんなふうに伝えることができるだろうか?