私がはたちの時、

祖母が亡くなった。

同居していたワケではないが、

家事育児が不得手な未子である母を気にして、

年に数ヶ月は我が家に滞在していた母方の祖母である。

私は数ヶ月間、などと思っているが、

もしかしたら1週間かもしれないし、10日ほどだったかもしれない。

今となっては事実すら分からない。

  ・

「亡くなった」と母から電話で知らせを受けた時、

(若い頃の年末年始は必ずバイトしてたから私は実家にはいない)

あぁ、私って『糸の切れた凧』になったんやなぁ…と思って泣いたことを憶えている。

 

幼い頃から

祖母は私の救いだった。

精神的にも、

実際、引っ叩かれる私を身を挺して庇ってくれるのは祖母しかいなかったから、現実的にも救いだったのだろう。

 

祖母は、私と同じで膝が悪くてね(DNAだな)

結局は立てなくなって寝たきりになり(今の私くらいの年齢から)

亡くなったのが本日、12月30日夜。

72才やったかな。

昔のコトなので

年末年始、葬儀屋さんの都合が付かなくて、驚き

火葬場の都合も付かなくて、無気力

お葬式は正月三が日よりかなり遅れたので、

松山の実家は大変だったと思う。

 

膝かて、今なら人工関節があるから、

もう少し長生きできたのかもしれない。

 

親戚内では賛否両論ある祖母ですが、

(そもそも私の母の育て方はなんやねん!という話)

(今だにその話が出ると私が謝る)

祖母は苦労人やのに気の毒です。

兎にも角にも、祖母は私には大切な存在だったので

今日は感謝の気持ちで手を合わせる日でございます。

 

私の大好きなおばあちゃん、

山本友栄さんのお話でした♡

明治の女は芯が強かったんだよぉ…。

   

松山のお墓参りにも行かなあかんかな…汗