こんばんは✨
今日は朝のLooPのレッスンと札駅に移動してLPYのレッスンと、会員たちと楽しく話をしながらヨガをして、プラグが刺さるとか、刺さらないとかの話をしてきました!!
このプラグの話はとてもやっぱり面白い。
この瞑想についてやるワークショップなどをやってみたいなぁ、と思いながら、
ポーズを深めるイベントもやりたいなぁと思ったりもしてます。
さて、今日の哲学は、
P28のつづき
見る者=自己は、それ本来の姿にとどまる。
あなたは、身体でもなく、心でもない。
とあるんですけれど、心の働き、心の中の声=自分
だと思っていることが多いのですけれど、
それが自分の声でもなんでもないし、それが事実じゃないんですよね。
私も今でもたびたび、1日に10回以上は勘違いしています。
というか、勘違いしたまま進んでいることがあるんだと思います。
「ここで罪悪案をもって、謝るのが普通だろ?」
「ここで動けよ、早くやったほうがいいよ、迷惑かかってるでしょ」
もっと頑張れ、明日もその次も休まずにしっかり!
とか。。
聞こえてきません?
この頭の中の現象で、自分を追いつめていることだってあるんだと思います。
そして自分の一人ストライキ…拗ねるみたいなこともあったり…
でも、一番の問題はそのことに気づけないのです。
自分の頭の声は鳴ってないと思ってることもある。
P29
鏡が波を打っていたら、本当の顔を見ることができるだろうか?
ひどい顔ーーーそれを気に病むだろうか?
おかしいのは鏡のほうだということぐらい、すぐわかる。
とあるのですが、
ところが、頭の声に反応して、自分自身がほんとにダメなんだと思っていることがある。
悪いのは現実を映し出している鏡=心=思考形成
つまり、頭の中の声のほうなのに。
この頭の中の声をなるべく、止めたい。
P30本当の姿が見えるようにその水をいつも澄んだ穏やかな波風のない状態にしておかなければならない。
心をとめることは難しいのだけれど、
けれどせめて、囁かれていることに気づきたいですよね。
じゃあどうしたら気付けるでしょうか?
そこで感情がとても大事になるんだということがわかりました。
この「感情」という言葉では本には書かれてないので、これまで全然わかってなかったことの一つ。
心と感情は別です。
心が何か考えていて、
で、気分や感情が、もやもやってする。
ん????
と一瞬感じるんだけれど、
それを無視していることが多いと思います。
何か見て、ふと考えて、
そして気分がどうも揺れることに気づく。
これが、心が波立っていることの表れで、
さらにはプラグが抜けている状態=真の自己から外れている状態です。
もやってして、
それを観察して、
どこから発生して、
どんなふうになるのか見てみる。
そうすると、何かに気づいたりひらめいたりすることもあれば、
もっともやもやすることもある。
そんな時、昨日の話ですが・・・・
ぼーっとするということが大事なんだと思います。
まずは、一旦ゆっくりしようとする。
ちょっと一旦手を止めて、
ゆっくり息をしたり、
アロマをかいだり、
人によってここは違うけれど、
ぼーっとして、心の波が静まって、
気分が変わるのを待つ。
気分転換。
心理療法に、「気晴らしがもたらす効果」という話がよく出てきて、
学生のときは本当に意味が分からなかったのです。
解決したいことが全く進んでないし、
一歩も前にでてないのに、
なぜ「気晴らし」が必要なんだろう????
理由は、頭の声を一旦止めて、
プラグを真の自己にさすためです。
同じことの繰り返しを23ページからずっと書いてあるこの哲学の本。
ここが大切なんだな。
だれか見て、いいなーとか思ったら、
雑誌の中のかわいい人見て、
ふといいなーと思ったら、
「あいつと私、違うのは頭の中だけ」
と思うといい、
はっぴーちゃんが言ってた。
「違うのは頭の中だけ」
だったら、現実的になんもしないけれど、
頭の中を本気で見てみようと思ったきっかけの言葉です。
頭の中のその声をいいものに変えるのもいいのだけれど、
その前に、ゆーーーーくりして、
ぼーーーーーーーっとして、
止めてみよう。
特に感情がネガティブになったときは、
一旦現実の手を止めて、ぼーーーーーーーっと3分でいいからしてみる。
こんなことを最近は本気でやってみてる。
今日も講座が始まる前に、
みんなでチーズケーキを食べました。
Mico
昨日のアクセスは320でした✨皆様読んでいただきありがとうございます!