私のスティッフパーソン症候群という難病、一昨年六月の帰省時から兆候はあった。


布団の上に仰向けに寝ると右足の指先から足の付け根まで、じわじわと強張ってきてピーンとつる。


金縛りのように下から上がってきて激痛が襲う。


そして弛緩しない。


妹や娘が私の痛がり方を心配して足をマッサージしてくれた。


そして七月に職場で左足の膝を怪我。


ギプスを巻いて二週間たっても痛みは続き、MRIで「骨挫傷」と判明。


左足を右で庇いながらリハビリに通っていたが、あっという間に右足も強張りが酷くなり痛くて歩けなくなる。


わずかな坂が上れない。


病院の中に入れない。


最後は家族に玄関まで車をつけてもらい車椅子となった。


進行の早さがとても恐ろしかった。


それでも私は膝の変形症のせいだと思っていたので左足の労災を三ヶ月で切って右足の人工関節置換術に踏み切った。


運がよければ膝の強張りも無くなっていれば良いなと・・・


十一月十八日朝一番に手術。


「○○さん、手術終わりましたよ~」と起こされ気付いたのは、すでに強張っている右足。


「右足のつっているのが痛いですしょぼんダウンダウン


膝の傷はホッチキスで六十針、この痛みは全く感じないほど強張りが痛かった。


膝を曲げる機械も我慢できない。


整形外科の医師はこの難病は知らない。


「こむらがえりだから」と…

そして「トラウマじゃない」と。


奈落の底に突き落とされたようだった。


急性期の病院はひと月しかいられない。


家の近くの新しく設備の整ったリハビリ病院に転院。


今通っている病院、よいところです!


担当のPTの先生は強張りを揉みほぐし、そしてまた強張りの繰り返しを根気よく付き合ってくださった。


来年度はもう会えないのが寂しい。


リハビリが終わって部屋へ戻ると必ず握手してパワーをくださった。


息子みたいな人でした。


三ヶ月しかいられないリハビリ病院。


結局強張りは相変わらず、OTの先生にお風呂の入り方、必要な椅子など教えてもらい退院した。


この時点で要支援1。


でも帰宅して二週間で寝たきりとなった。


一人では起き上がることもできず二人の子供にリフトというやり方で立たせてもらいトイレに行った。


寝返りすらできない。


こんな自分が情けなく家族に迷惑をかけるのが申し訳なかった。


いつも一人で留守番していたがこの日の朝は右足だけでなく胸まで強張った。


「ウッしょぼん」となって息ができない。


一旦出勤した娘が帰宅した。


「お母さん、早く病院行くよ!神経内科に」


ここでたまたま外来にいらした医師は私が途切れ途切れに話す事をちゃんと聞き取りしてくださり、運よく病名がわかった。


「このまま入院する?」と言ってくださった医師に感謝。


たった一本の注射で今までの足から胸へのつりと激痛が無くなり、ニコッと笑顔を見せてくださった先生の転勤について行きます。


そしてケアマネのご尽力で要支援2に。


人はいつ何が起こるかわかりません。


思いがけないことが起こります。


将来はひとりでのんびりと実家へ帰ったり…と思っていた私でしたがそれさえ叶わなくなりそうです。


人は一人では生きて行けない。


助け、助けられて生きて行くのです。


支え、支えられて生きて行くのです。


言葉の行き違いがあればそのままさよならではなく、話し合い生きて行くのです。


病気になればストレスもたまります。


発散したり発散されたりできる人がいれば幸せですね。


私の場合話を聞いてくださるかたが近くにいらしたので奈落の底からずいぶん上ってこられました。


今日も強風の吹くなか洗濯物を干し、お昼からは熱田神宮とリハビリ病院でお世話になった先生に会いに行きます。


こんな身体の私でも毎日忙しく過ごしています。


今現在は動けることに感謝クローバー