クーちゃんが天に旅立って、1か月。
寂しい・・・という感情では言い表せないほど、my best buddy クーちゃんの存在の大きさと、その不在の影響を改めて痛感しています
『虹の翼のミライ』を読んで、これまで感じてきたけど、普段は思い出さない沢山の悲しみを物語のなかで再体験というか追体験して、
特に、
「おなかの中と言っていること/やっていることが違う人」に対する違和感。
そんなの分からなければ楽なのにな・・・とこれまで何度思ったか分からないし、
ふとしたときに人の本心、いろんな思惑や邪心が垣間見えたり、ことばや行動に“裏がある”のに気付いたりしたとき、「ああ、そういう人だったんだ・・・」と分かって良かった反面、それはそれでやっぱりそのたび傷つくものであって、
その積み重ねはやはり大きくて、さくらの中に、まだこれほど人間不信の思いが根強く残っていたことに自分でも驚いています
クーちゃんは、人間と違って裏表なんかまったくなくて、いつも喜びを全力であらわして、まっすぐで純粋で、「ことばや行動の裏に、なにかあるのではないか?」などと疑う必要がない、行動と思いがいつも同じで、本当に一緒にいて心から安心できるmy best friendでした
魔界(永田町)での戦いで心身ともにボロボロに傷つき、徳島に戻ってきて、人がこわくて引きこもっていたさくらの心を、クーちゃんがどれほど癒してくれたでしょう
心身ともに健やかさはかなり取り戻して、人のなかに入っていけるようになってきたけど、クーちゃん、私やっぱりまだ人がこわい思いが消えないの。
周りは優しいし、いいお友達にも恵まれているけど、人の思惑や裏表が見えてしまうのはやっぱり疲れるし、
人間は、いい人もいるけど、そうでない人たちもまだまだ多いから、本当に心から人を信じるというのはやっぱり恐ろしくて、
人のいろんな思惑も、本当の姿が透けて見えるのもすごく疲れて、
そんなとき、クーちゃんの無邪気な笑顔にたまらなく会いたくなるんだよ。
旅立つ直前、「もう僕がいなくても、大丈夫だね」というような目をして、私を見つめていたクーちゃん。
もう毎日一緒にお散歩したり、家を空けるとき心配しなくていいように、私にあたらしいものが入ってくるスペースを作ってくれたことも、よく分かってる。
だけどクーちゃんのいない家はガランとして、少し心が疲れたときに、クーちゃんがそばにいるだけで、どれほど私の心が癒されていたのか、クーちゃんがいてくれたから私はこんなに元気になれたんだと、改めて分かったよ。
引きこもりから少しずつ脱して、よく考えるとまだ1年くらいだし、クーちゃんが天に旅立って1か月。
時々息ができないくらい、I miss you so muchだけど、クーちゃんのように純真に、真っ直ぐに生きるのは、人間界では時々難しいけど、
無理せずに、私のペースで進んでいくから、見守っててね。