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このところ、英語だけでなく、国語の授業を担当することが増えてきました。
「いいですよ」と、何でも振られる仕事を気軽に受けていると、自然と芸域が広がるものですし(ただし無茶振りは、断りましょう)、
英語の長文も、現代文も、良質な文章を読むことが好きな人間にとってはパラダイスであり、教えながら自分の勉強にもなるのが最高です。
先日読んだある女子大の過去問では、アメリカ女子サッカーチームの歴代キャプテンが共通して持っていたリーダーシップについて。
彼女たちの個性の違いから、リーダーシップのスタイルはそれぞれであっても、「リーダー」として他者から尊敬されるというのは、not positional(社会的地位に由来するものではなく)で、あくまでpersonal (その人個人の人間的な素晴らしさ)があってこそ。
昨今の政治事情に照らしてもめちゃくちゃ当てはまり、inspireされました。
国語が嫌いだという中高生の気持ちは、数学を筆頭に理系教科が私はさっぱりなため理解できるものの、「文章を読むのがそもそも嫌」という中高生たちの多さには、一体どうしたものかと思う。
「マンガでさえ、字を読むのは嫌」と言い切る子たちも一定数いて、新井紀子先生の『AI vs 教科書が読めない子どもたち』に書かれていることは実際に起こっていることだと実感するたび、英語と日本語を、ことばを使いこなすことの楽しさや面白さを感じるきっかけになるよう、毎日真剣にいろいろ考えながら授業に臨んでいます。
私は英語も国語も大好きですが、苦手だから塾に通わされている生徒たちにとっては、嬉々として文章を読んでいる私の姿が異様に映るらしく、「先生、なんでそんなに面白いと思えるんですか?」と、率直に疑問をぶつけてくる。
「うーん、なんでかは分からないけど、とにかく楽しいんだよね。新しい知識を得るのもそうだけど、頭のいい人が書いた文章を読むと、こっちも頭が良くなったような気がするじゃん?内田樹先生とか」と答えると、生徒はキョトンとしている。
「理解するのが難しい文章」に挑むのは確かに骨が折れるし、どう考えても追いつけない高い知性に挑戦するのは、少しでもその高みに近付きたいと願いながら、理解する努力も含めて知的刺激に溢れているから楽しいのではないかと思う。
「なんで古典を勉強しなければいけないんですか?」「古典って、大人になってから必要なんですか?」というのも、これまたほとんど全員じゃないかと思うくらい、中高生たちが不満をぶつけてくる。
「まあ、それも分かるけどね。源氏物語にしても、幼女を見初めてさらっていくなんて、光源氏=ただの変態だよね」などと、現代の価値観からすると理解不能なことは多いものの、
「えっ、それ知らないの??」とびっくりするほど、初歩的な古典の知識や、誰もが知っていると思っていた一節を「聞いたこともない」と言うのは、それは文化的な断絶のようにも感じる。
これも真剣に考えていたけど、古典は「絶対に」必要かと言われたら、生きるために必須の知識ではないんだけど、これは「教養」なんだと思うよ、という答えに収斂してきました。
古典だけじゃなくて、歴史も、昔の人たちが何を考え、どんなふうに世界を見ていたのかを知ることで、人間の本質は変わらないんだなとか、この世の仕組みを理解する助けになるよ、と。
先日は、「枕草子」で清少納言が「他者から憎まれるのはつらいことだ」「この世で最も大事なのは、情(思いやり)である」と書いてあるのが、このところの心境にぴったりで、「これ、めちゃくちゃ響くのよね。。。」としみじみ。
人間関係に悩む大人にとっても、高校生の私にとっても、清少納言がその時に感じたことを書いてくれたおかげで、時を超えてその感性に触れることができる。
「昔も今も、人間って変わらないんだな」と思うのも、古典を学ぶ一つの意義なんだと思うよ、と熱弁をふるう私の授業を、いつもまじめに聞いてくれてありがとう、心優しき生徒たちよ。
いちいち感動しながら、文章を読む私を、変な人だと生徒は思っているかもしれないけど、理解するのに必要な背景知識を解説している時がいちばん幸せだなあと思うし、
とにかくどんな文章からも何か得るものはあるのだということを、分かってくれたらいいなあ。
学校の勉強も受験勉強も、それがまったく役に立たないとは私は思っていない。
リベラルアーツ(教養)の基礎の基礎であると思うし、面白いなと思う教科も、苦痛でしかない教科も両方あったからこそ、大学で好きな勉強ができるのが嬉しくてたまらなかったし、嫌なことがあるから自分が何が好きなことも分かるのだと思うよ。
紙の上での国語のテストは抜群にできたのに、日常の日本語には誰よりも苦労してきたから、私はことばの使い方や、文脈や意味の確認にこだわるし、それが人を怒らせることもあるけど、
いまも毎日、特にハイコンテクストの日本語話者の人たちの言っていることを理解するのは大変だ。
「理解できない」のが私にとっては何よりストレスなので、意味不明のことを言っている人たちのことばは目に入るのも耳にするのもストレス以外の何ものでもないけど、
紙の上では、上質な知性による美しい、論理的で素晴らしい感性にあふれた文章に触れることができる。
「ああ、この表現、キレイだよね」「ひたすらに美しい文章だ」「こんな言い方するんだね、面白いよね」と、私はいちいち感心してしまう。
そんなふうには思えないかもしれないけど、「勉強になったよね!!」と興奮してしまう文章を読む喜びを、少しでも共有できたら嬉しいし、好きなことを勉強する楽しさを持ち続けてほしいと願っています。
大人になるって、楽しいものだよ。高校生や大学生のときよりもずっといろんな知識が蓄積して、経験値を得た分、世の中のことが分かってくるから。
それでも、めざす知性の山の頂にたどり着くには、まだまだだ。
だから毎日が勉強だし、今日も学ぶのが楽しい。
君たちの質問や疑問から、いつも学んでいるよ。ほんとにありがとう。勉強、楽しもうね!!
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