いよいよ行きますか(^^)

現状の女性専用車両は当初の導入主旨を逸脱したところにあり、その結果、女性の品位は貶められ、ひいては日本社会全体の質をも貶める、反社会的車両に成り下がってしまった。と言わざるを得ません。

まず最初に、前提として、わたしの身に起こった、12年前の出来事を明らかにしておきます。

当時わたしは八王子に住んでおり、中央急行線で都内に通勤していました。
ある日、わたしはいつものように、通勤特快で国分寺を出たところ、突如、周囲を7、8人の男性に囲まれました。
そこからが悲劇の始まりです。足を触られるわスカートめくられてショーツをさわられるわ挙句の果て、ストッキングごとショーツをずらされて、中身をぐちゅぐちゅと新宿まで約20分。地獄でした。
そして、わたしは男性不信になり、一度退職し、治癒には2年を要しました。
その後、社会復帰したわたしは、誰よりも仕事に打ち込み、1年後、女性ではなかなかなるのが難しい、工場主任にまでなりました。


そういうわたしですから、「痴漢被害者の気持ちがわからない。」というわけではありません。しかし、それとこれとは話は別。


もういちど言いますが、現状の女性専用車両は「女性の性被害防止」という当初の主旨を逸脱した現状となっています。
それどころか、記事を見ても、「女性の性被害防止」という主旨の意見は見当たりません。どこへ行ってしまったのでしょうか。

もちろん、記事に見当たらないからない。とは思いません。
ただし、わたしのもっているもうひとつの資料を提示します。

ちょっと古いですが、ここに、2006年春に、ある生保会社が社内のセールスレディを対象に行った、アンケート結果があります。
これによると、75.8%の女性が、女性専用車賛成。ということですが、これ自体はさもありなん。問題はその内訳、「なぜ賛成か」という部分にあります。

内訳を提示します。
よっくごらんください。

一般車より空いてて快適 37.5%
男性臭くなくていい 20.8%
車内でお化粧直しができる 14.0%
性犯罪被害に遭わなくてすむ 10.8%
その他 16.9%


本来の導入の主旨である、「性犯罪被害に遭わなくてすむ。」という回答は、賛成回答のわずか10.8パーセントに過ぎません。
上位3つ。これを集計すると、3つあわせて72.3%。すなわち、72.3%の女性専用車賛成の声の本質は、「性犯罪被害対策。」ではなく、「男性を排除できる空間。」に賛成していることが、この表で明確に浮かび上がります。

もちろん、10.8パーセントに過ぎないから「必要ない。」「廃止すべきだ。」などと言う気はまったくありません。
少なくとも10.8パーセントの女性は、「女性専用車両の主旨を正しく理解し、その主旨に沿った利用方法をしている。」といえるからです。

ただし、72.3パーセントの女性は、女性専用車両の主旨を正しく理解し、その主旨に沿った利用方法をしている。」とは到底言えない。この事実は男女問わず、真摯に受け止めていただきたいと思います。

前提が「当初の導入主旨」と「現在の実態」と大きな開きがある。ということですね。
ですのでわたしは、現状の女性専用車両については、「議論不能」と考えます。

まずは、「正直者がバカを見る」結果にならないよう、当初の導入主旨を逸脱した利用者に対し、女性から声をあげることが肝要だと考えています。
さもなければ、「女性には『自省』というものがない。なにもかも男性や社会のせいかよ。」という謗りを免れえません。

わたしに賛同してくださる方がどれほどいらっしゃるかわかりませんが、もしご賛同くださるなら、まずは、女性専用車両の是非を論う前に、凸凹の土俵をまず地ならししていきましょう。

現状で女性専用車両の是非を論うことは、凸凹の土俵で相撲をとろう。と言ってるようなものです。
わたしは、結構人から、「右思想」「保守派」と言われます。

日本国のあるべき姿は日本人のための日本国であるべきだと考えています。
ある程度の部分は多種多様な価値観を共有しあうことも大切でしょう。しかし、根幹のコアの部分。と申しますか、「ここを崩せば日本という国が根底からひっくり返りかねない。」という部分は日本人のための日本国。という部分を譲るべきではない。という考え方です。

その延長線上に、「男性は男性。女性は女性。社会の中で共存していくには、それぞれの役割を認識しないといけない。」という考え方があります。

ですから、男女共同参画社会と称し、女性の社会進出を促したいがために、女性優遇と言われても仕方ない社会を構築しようとする姿勢には、強く反発しています。

なぜならば、女性が社会で働くという上において、男性よりも厳しい状況に置かれるのは当然である。と考えているからです。生物学的にも、メスはオスと同じように狩りに出て獲物を巣に持って帰る。というのに適した構造にはそもそもなっていないからです。

このままでは、社会か女性か、いずれかが破綻するのは明白です。

「男性は男性らしく、女性は女性らしく。」

これのどこが間違っているのでしょうか。



わたし:由香(1976年6月10日生まれ)

わたしです。この人物を語るのが一番難しかったりします(^^)
基本、気分屋さんですが、持ち上げられるとほいほいと何でもしちゃうかも。



亭主:遼太郎(1978年3月24日生まれ)

亭主です。結婚して6年半になりますが、いまだにハッキリ言って、ようわかりまへん(笑)
ヤクルトファンでアンチ巨人なので、ヤクルト-巨人戦(逆も真なり)になると、ちょっとうちの中はバトルモードと化します。



長女:望(2007年5月19日生まれ)

三姉妹の長女という自覚が出てきたのか、率先して自分から行動を起こそうとします。
逆にそれは、独断専行を引き起こす時もあります。



次女:梓(2008年7月14日生まれ)

とにかく言い出したら聞かない。自分がこうだ。と思ったら何がなんでも動きません。
逆にそれは、石に齧り付いてでもやり抜く。という見方もできます。



三女:遥(2010年2月8日生まれ)

まぁとにかく周囲に紛動されない。ごういんぐまいうぇいを地で行ってるところがあります。
逆にそれは、集団生活の中で協調性という部分が問われるのではないでしょうか。



こんな感じで、日々格闘です。
家族の話題も随時、書いていけたら。と思います。