とうとう化けの皮がはがれましたね。


鈴香さん。


虚言癖で、子供を2人殺しておいて平気な顔。


悲劇の母親ぶって・・頭おかしいよね。


まぁ・・遅かれ早かれこうなる運命だったんだと思うけどさ・・


一番、彩香ちゃんが可哀想。



母親に愛されなくても、愛されたいと辛い事も我慢した。


虐待をうけても、母親をかばった。


いつも空腹で、カップめんのお湯がないときはそのままかじって食べていた。


酷いいじめにも、涙を流しながら耐えていた。


風呂にも入れてもらえずに悪臭を放っていた。


母親に朝起こしてもらえず、遅刻しても泣きながら学校に行っていた。



こんな子が、幸せを知らずに・・家庭の・・母親の暖かさをしらずに


殺されてしまいました。


ゴウケン君は巻き込まれて可哀想だな~としか思わないんですけど


彩香ちゃんには強い感情があふれてきて泣いてしまいます。


なぜかって?


あたしも、そして弟も妹も同じ目にあっていたからです。


私のお母さんは、育児放棄した母親でした。


自分勝手で、男好きで・・。


ご飯を作ってもらったのは数える程度でした・・


一度、私は母と住んでた頃に高熱を出したんです。


多分、私が熱出てたから弟と母が出かけていなかったかな?


ふらふらで立てなくて、でも家には1人。


水を飲むのも苦労していました。


夕方に帰ってきて珍しく母がビーフシチューを作ったんです。


母の機嫌を損ねないように、無理やり起きて食べたんですが


美味しい?と聞かれても鼻が詰まっているし頭がぼーっとしているしで


味がわからん・・って言ったんです。


そしたら激怒・・一口食べただけで食べなくていいと捨てられました。


一向に熱は下がらずにあがる一方で・・母が気づいたときには相当やばかったらしいです。


抱きかかえられて病院にいきましたとさ。


そのときは、こりゃ死ぬなぁ・・意識が朦朧としている中で思いましたが生きてますw


まだ、このときはマシだったのかなw


他にも、母は金目当てで私達をおばあちゃんの元からさらった様に連れて帰った事があるんです。


母子家庭のお金目当てってことねw


どうしたらいいかわからなくて一週間ほど母と居たんですが、おばあちゃんのところに帰りました。


お婆ちゃんは、意気消沈でした。


あとから聞いた話ですが、養子として育てていても


実母が返せといったら、有無も言わさず返さなきゃいけないらしいです。


それに激怒したお婆ちゃんは、当時の知事に講義の手紙を書いたそうですw


イジメられもしました。


親が離婚したり、養子になったりいろいろありすぎて


名字が保育園の頃と違うーとか、プリントに父親の名前がかかれてないとかw


今はそういう父親・母親の名前と電話番号やら書かれたプリントは配らないようですが。。


当時は、靴を隠されたり、上級生にスカートめくられたり・・


仲間はずれは当たり前だったし・・いろいろあったけど思い出せないなw


悔しくて、苦しくて、涙が出てきたときは教科書で隠してました。


弟も苦労したんだよね・・。


私が母の元から去った時に


妹の面倒や家の家事をしていたのは弟で・・


母は小さい妹を連れて歩いてたので弟はひとりぼっち。


小学生にはきついですよね。


もっと幼い頃は、義理父から虐待をうけてました。


足も手も縛られて、コタツの中に放置されてたり・・


保育園までの遠い道を歩かされたり・・


義理父と妹は車に乗ってみてるんですよ。。


しか~し、妹も例外じゃありません。


一番下でぬくぬく育っててきたけど、上二人が居なくなったとたん厳しい現実が待っていました。


風呂も入れてもらえず、家に母は帰ってこない。


腐ったものを食べて学校でゲリ、嘔吐。


母親になついてたので辛かったでしょうね。


こうして3人そろって婆ちゃんと暮らす事になりましたとさ。


それまでは、本当に辛かった。(それからも辛かったですがw)



家に帰ってこない母親を、テレビの砂嵐を見ながら朝まで待っていたこともありました。


生活費を2~3日で2千円ほど渡してくれていたのでやりくりして貯めていました。


帰ってきたときに


 母  「お金だして。千円あるやろ?」


明日からどうやってご飯を食べていけばいいんだと思い泣きながら出しました。


買ったものはビールです。


ご飯代がビール数本に化けてしまい、やりきれなさを感じました。


本当に貧乏と言うものを身にしみて感じました。


弟の誕生日はお金がないのでエクレアをおばあちゃんが買ってくれました。


おかずを買うお金がないときは、かつお節にしょうゆをかけてたべていました。


どれだけ苦しい思いをしていたか・・


どれだけ心に傷をつけたか・・


母は知らないでしょう。


私達の苦しい生活を省みず、母は母子家庭やらなんやらで入ってきたお金を


男に使ったり、お酒やタバコに使ったり、ヤクに使ったりしていました。


薬を買うのにお金が足りないので、自分の体を売ったり


水商売をしていました。


まぁー捕まって、今は手を出してないみたいですけどねw


今聞いてみると昔の事は覚えてないようです。


私は一言一句覚えていますがね。


忘れる事は大切です。


しかし、今は蓋をしていますが・・何年経っても、十何年経った今でも消化することなく


大きさを増しています。


平静を装ってますが、本当は殴りつけたい衝動に駆られるのです。


オバサンもそうですし、母も、おじさんも、じいさんも。


かろうじて抑えられるのは良心があるからかもしれませんね。


痛みをしっているから、その痛みを人に与えられない。


なにも考えずに吐き出してしまいたい。


ちなみに、今でもビールやタバコは大嫌いです。


精神的に嫌悪感を感じますが仕方ない事なのかもしれませんね。


今は弟も妹も・・もちろんあたしも幸せです。


彩香ちゃん。今度こそ幸せになれますように。