子どもの心のコーチング 一人で考え、一人でできる子の育て方 (PHP文庫)
菅原裕子 | 2011/4/8
これを読んだのは2カ月ぐらい前でしょうか。
しかしながらとても心にささりましたし、菅原裕子さんのファンになってしまいました。
もう少し菅原裕子さんの本を読もうと今「子どもの「やる気」のコーチング “自分から学習する子"に変わる方法」を読んでいる途中です。
コーチングの簡単な解説はこちらの帯から。
独身の時ですが、コーチングの短時間の授業を受けたことがあります。
聴くという行動による効果の話です。
あるお母さんはお子さんから話をされたときに、反論やアドバイスなどをせずにずっと話を聴くように教わりました。
お子さんは学校のある先生の授業がわからないとずっと毎日同じ話をしていたそうです。
お母さんは「そんなこと言わずちゃんと聞きなさい」などと言わずずっと、うんうんと話を聴き続けていたところ、ある日お子さんが「その先生に授業が分かりづらいことを言いに行く」と言い出しました。
さらに、同じクラスでその先生の授業が分からないと思う人を募って、みんなでその先生に直接訴えたそうです。
みんなで先生の授業が分からないと訴えるというのはなかなかできることではありません。
これはお母さんがその子の話に耳を傾けたことで、その子本来のやりたいことが見え、行動にできたということでした。これがコーチングの効果と教わりました。
この話が印象的で、私は是非とも我が子にコーチングを取り入れたいと感じており、今回菅原裕子さんの著書に出会ったのです。
自発的に自分で身の回りのことができるように、朝は自分で起こすことが大切と説かれていました。もし親が起こしていると、寝坊したときに「お母さんが早く起こしてくれないから寝坊した」と責任転嫁になるのです。そしてそれを改めようとはしません。
自分で起きて、寝坊して居心地の悪い出来事を経験した場合、どうしたら次は寝坊をしないかを考えます。自分で対策を考え、実行する決断に至るのです。
親が子どものためと思って朝起こしている行動は、決して子どものためにならないと書かれていました。遅刻して先生に怒られるという経験は、次の自分の糧になると説かれていました。
これを読みながら私も子どもが小学生になったら起こさず過ごせるかな、、と考えてました。
今は起こしています。そしてほぼ毎日「保育園行きたくない」と言いますが、なんとかなだめて園に向かっています。
印象的だった話は二つあります。ふたつとも菅原裕子さんの人柄を表している話です。
最近、色々と育児本を読むのですが、こうしたらいいというのは書かれていてもなかなか心に響きづらいとは思っていました。菅原裕子さんの著書はこうしたらいいという実践に加えて、我が子との実体験によるエピソードがところどころ書かれているので親近感がわき、ぐっと実践したい気持ちが増します。
そのエピソードの話です。
「できないときに指摘するよりも、できた時にしっかり認めましょう(褒める)」と書かれていました。これは他の育児本でもよく書かれていることです。
菅原裕子さんのお子さんは髪の毛が長いためか、浴槽に髪の毛が浮いていることが多かったそうです。そのことは伝えていたのですが、ある時あまりに多くの髪の毛が浮いていたため、菅原裕子さんは娘さんを呼んで、浴槽に髪の毛がたくさん浮いていることを伝えます。
するとお子さんは「ほんとだ」といって髪の毛をさっとすくいました。
その時菅原裕子さんは「あなたのいいところってそういうところだと思うの。嫌な顔せずにさっと髪の毛をすくってくれる。お母さんはあなたのそういうところがとても素敵だと思うの」と伝えたそうです。
なんて素敵な言葉なんでしょう。本当に菅原裕子さんはお子さんのその行動に感動したからこそ出てきた言葉です。
娘さんはそれ以降、今まで以上に浴槽に髪の毛が抜けてないか気を付けるようになったそうです。
こういうことも実体験に基づいていることが書かれているだけで、ぐっと実践したい気持ちが増しました。私もできてないことではなく、できてるときにしっかり認める(褒める)ことをしたいと感じました。
菅原裕子さんの著書では、「褒めてはいけない。認めましょう」と書かれています。褒めると褒めてほしいからすることになるなど、自発的に動かないきっかけになるとも書かれていました。
そしてこんなエピソードを披露しています。
ある小学生の女の子が学校の花壇に毎日水をあげていました。彼女は乾ききった土に水を与え、お花たちが水を飲んでいる姿を想像するだけでとても幸せな気持ちになっていたそうです。
それを見ていたある教員が集会で「●●さんは毎日花壇にお水をあげてえらい」と褒めたそうです。それを聞いていたその女の子はとても腹立たしい気持ちになりました。
自分が楽しくてしていることをどうしてみんなの前でいうの。どうして私の楽しみを奪うようなことをいうのと感じたそうです。
それ以来、彼女は花壇に水をあげなくなりました。彼女がその後も花壇に水を上げ続けると褒めてもらいからしていると思われてしまいます。
教員が彼女にすることは、集会の前で褒めることではなく、ただ素直に「ありがとう。花が喜んでるね」とその行動を認めることだったと説かれていました。
なかなか興味深い話でした。褒めると認めるの違いが、その後の私のなかのテーマとなり、今もぐるぐる回っています。これについてはまた後日ブログでまとめられたらと思います。
印象に残ったエピソード二つ目も、同じく菅原裕子さんの親子でのお話です。
「子どもの話をしっかり聴く」必要性を説いていた菅原裕子さん。
中学受験をし、新しい環境になじめない娘さんは毎日、今の辛い気持ちを伝え続けていました。菅原裕子さんは最初こそしっかり聴き続けていたものの、日にちが重なるにつれだんだんと自分もしんどくなり、仕事が多忙になって、ある日、娘さんの話も早々に切り上げたそうです。
その翌日、講演会で彼女は言いました。「私は皆さんに子どもの話をしっかり聴きましょうと言っていますが、自分は昨日子どもの話をしっかり聴けていませんでした。私はみなさんに子どもの話をしっかり聴きましょうという資格はないのです」と。
その講演会を聞いていた人は逆に感動したそうです。私も感動しました。
そして菅原裕子さんは家に帰り娘さんに「今日、講演会で『子どもの話をしっかり聴きましょう』とみんなに伝えていたにもかかわらず、私は昨日、あなたの話を聴けていなかったわ。ごめんね」と伝え、謝罪をするのでした。
すると娘さんは「お母さんには完璧を求めてないよ」と言った趣旨のことを伝えるのです。確かこんな感じの言葉だったと思うのですが、人間だからできないことがあって当たり前だよといったことがニュアンスに含まれていました。
講演会で謝ること、そして我が子にも謝る菅原裕子さんは素晴らしいですが、その血を受け継いでいる娘さんも本当に素晴らしいと思いました。
親の資質が子ども性格に強くかかわってくると感じました。子どものために、親が良い見本にならなければならないと強く感じました。
菅原裕子さんは、私が育児をしていくうえで、見本とすべき憧れの人となりました。
心を打たれる良い本でした。