自分以外の人間は他人である。
わたしはそう思って生きている。これだけ聞くと、なんて冷たい人なのだ、とか言われそうだが、わたしの中で

『自分の心のありよう、体調など、自分ですら把握しきれない。よって、わたし、以外の人間に分かって欲しいと思うことは傲慢。故に、自分以外に、何かを期待したり、わかってくれないなんて!という気持ちになりたくない』

    という意味が強い。
私の親族たちもとても大事だが、例えば大好きな叔母が頭痛を患って、なんとかしたいと思う私がいても、本当の痛みが分かるのは叔母しかいない。そういういみで、わかったふり、をする身内にはなりたくない、と思う。

   と、前置きをして。
誰かと交際をする、というのは、全く血縁のない何かしらによるきっかけで出会った人となる。

   男女問わずいるのだが、私がいつも不思議なのは、
その1.       付き合ってる私、僕、がいるのに、
異性と食事に行くなんて!2人で会うなんて!とか言うやつ。
 なんで異性=恋愛対象に違いない。
なんだろう。
  有能な人は男女問わずいる。大きなビジネスチャンスやアイディアを持った人が異性だった、場合、恋人が嫌がるから、逃す。と言うことになる。


恋人のチャンスを逃したり、成長する機会を奪う、恋人ってなんなの?
   それ、愛じゃないとおもう。ただの所有欲じゃないか。その相手が好きなんじゃなくて、その相手を所有している自分が好きなんじゃないか?
   
   その2.付き合ってる人がいる、から我慢する。
(魅力的異性がいた場合の話です)

   いやいや。我慢の結果?仕方ないから妥協するの?そんなこと言われて嬉しいか?
   付き合ってたって素敵なものを素敵と言える人なら、この人は私を選んでいるのは、私が素敵だからと思えど、
付き合ってるからだと、妥協の匂いがただよう。
  

   そんな妥協しなくていいです。
より魅力のあるものがあるなら止めないです。

   世の中の人らは、たとえ妥協でも、いいんだろうか…
   そう思えない私はおかしいのだろうか。

            そうやって、他人であるはずの誰かを縛り付けて、自分の思う通りにしたい人、よく見るが、私は大嫌いだ。

   大事な人には、自由でいて欲しい。

   ただ、結婚となると話は変わることもある。
なぜなら、法律上、家族になり、互いに責任が生じるからだ。これが理解できてないのに、結婚したがる人がたまにいるが、結婚したら、連帯責任になることが多く、だからこそ大事な人に迷惑や悲しい思いをさせないために、結婚後は人間として成長しなければならない。

   




  日本の神様がたくさんいるのも、色んな宗教が共存しているのも、美しいことだと思っています。