4月も半ば過ぎた。2020年。
いろいろ、今年の正月から思えばこの状態は想像もできなかった。

  不安なニュースや不安な情報が溢れているけれど、今、自分は何ができるか。を考えるのが大事で
批判とか不満とかに身を委ねるのは正しい対処法じゃないと思っている。

  部屋に籠ることが増えたのをいいことに、いろんなことや物を整理した。

  自分がいて、楽しいと感じられるもの。好きだと思えるもの。
  惰性で捨てられずにしまい込んだままほったらかしだったもの。

  人の感情に永遠はない(ある人もいる、生きてる間という時間内の永遠ならば。多くはないとは思うが)

        私は大事にしたいと思えるものを大事にしたい。
綺麗事はいわない。  

  選択はいつだって正しいか保証はないが、捨てて後悔するものなどあるだろうか?
私はなかった。仮に後悔してもそれは自分の責任だ。
折り合うだけのことだ。
  
  人との付き合いもそうだ。必要な人、損得じゃなく、優しい気持ちになれる人たち。が大事。 

  なんか嫌だなとか思いながらヘラヘラ笑う自分がすごく嫌いだ。相手にも失礼だ。

  こんな性格だからか友達は決して多くはないが、心から大事な人らだ。
   
  薄情な人、と言われることがある。
別に構わない。私が薄情だと思われるのはそういう相手。私が大事ではない人らからしかない。
言いふらされても構わない。
ホントのことを知ってくれている人がいると自信があるから。
   
   誰にでも好かれたいなんて思わない。
誰にも嫌われたくないとも思わない。

私の大事な人らを侮辱するなら許さないが、私のことならどんなことを言われてもまあ、そう見えたなら仕方ないのだ。


   わかってくれている人たちがいる。
そう思える私はきっと幸せなのだ。

   批判しかしない人には虫唾が走る。
まず、人のために自分が動いてみなさい。と思う。
行動する、ということは、はるかに大変なことだからだ。

   最近、なんとか省庁の人たちへの批判を聞くが彼らこそ今、とんでもなく働いている。
日々変わる指示に右往左往し、早く早くと急かされ、間違いは許されず。

   私の父の若い頃、北海道十勝岳が噴火した、その一報の1時間後作業服に着替えた父は、そのまま職場に向かって行った。泊まり込んでいた。

   何か起きたとき、現場のことを正しく把握するのは簡単じゃない、でも決断も判断もしなくてはならない。

   報われないからやだなんて言葉を父から聞いたことはない。親族の心無い人から税金泥棒のくせにと言われたことはあるが。
        …作業服着ながら最前線の対策を不眠不休でやっていた父は、税金泥棒だったのか?
    そんなはずはない。

   人の先入観は正しい判断を奪う。
今はただ、自分のできることを、自分の大事な人たちを守るために、祈るように、生きている。

  季節はどんなに人間が混乱していようと、変わりなく繰り返すんだなぁと空を見る。
人間なんてちっぽけでくだらない。
だから、大事に生きなきゃダメなんだ。