人類は長い歴史をたどっている。
といいたいが
地球の歴史と比較したならば
ひとひらの覚書ほどのものかもしれない。
もっと言うのなら
宇宙の歴史からしたならば
地球の歴史すらも
風の前の塵のごときものなのかもしれない。

前置きは壮大だが
私がいいたいことは

 生命の個体の数だけ、
それぞれぞれの生き様があると言うことだ。

人間という生き物にフォーカスしてみると
どんな人種、国と一括りにしようとしても
同じ人種だから同じとか
同じ国民、同じ国出身だから同じとか
そういうことも決してない。

汝の隣人を愛せよ
いうものがいたとしても

右に愛せる隣人がいて
左にはなんとなく気まずい隣人がいるかもしれない。
さらにいうなら
前にも後ろにも斜めにも
自己を中心とした場合
隣人は存在する。
ちょっと無理やりな感じは否めないが
自分の身近な人は全方位に存在する。

その各方位の人々が同じか?
というと
各方位、それぞれの個性があり生い立ちがある。

私は少しばかり斜に構えているのか?
もしくはなんらかの視点がおかしいのかはわからないのだが

その、社会的なみんなの意見だとか
周りがそうだから
という文言がどうしても苦手なのだ。

なぜこんなことを言うかというと
みんなの意見、ということは大半の人がそうだ
もしくは全会一致の意見だというに等しい
と私の中で解釈した場合
そんなはずはないと、必ず突っ込んでしまう。

各々なんとなくそれっぽいような、それに近いような感じを共有している。
という状態を
みんなの意見と定義しているのではないかと
考えてしまうからだ。

それっぽい、それに近いというのは
全会一致とは全く異なる
差異があることだとおもう。

人の心を見ることは大半の人はできないはずだし
見られると主張する人がいたとしても
証拠を出しようのないことだともおもう。
それと同じようにみんなの意見と
誰かが言ったとしても
そのみんな、を一人一人確認していくことなどできるはずもない。

みんな違う個体として生まれてきた以上
考えや思いは違うはずだ。
全く同じなんてことはきっとない。

様々な人がいるし
様々な考え方がある
中には相容れない考えもあるし
理解できない考えもあるだろう。

しかし、それでいいのではないか?と最近思う。
全てを知りたいとか
全てを理解したいとか
全てを愛したいとか
全てを、全てを…

まあ人間の欲はあるだろう。
そして、みんなと同じ、という言葉にある
自分はみんなと同じなのだ、というマジョリティである安心感もあるかもしれない。

でも、違うからこそわかること気づくこと
気づかされることは山ほどある。

私にだって気に入らない人や考えは存在するし、
許せないことだってあるし
それと真逆に
無条件に大事な人や大切な志みたいなものはあるつもりだ。

昔は全てを知ろうとすることは尊いと思った。
というか今もおもう。
しかし少しばかり
一個人に見える範囲のことなど
ほんのちっぽけな世界でしかないと
人として個体として
呼吸し生存する中で
地球の上にいる一瞬の命の一つに過ぎないなぁと
妙に納得してしまう。

先にも述べた
生命の数だけ生き方があり
各々が違うのだ。

そして、きっと
見えない何かがあって見えない何かと繋がったり
うまいこと持ちつ持たれつ
無意識にしているのかもしれないな、と
頭によぎった。

人と違うことは当たり前なのだ。
そしてうまくいかないことも
心に割り切れないことがあることも
人として人らしいたる所以なのだ思う。

自分と違うからと何かを、誰かを
違うことを理由に遠ざけたり
批判してしまうこともあるかもしれない。

自分を理解してくれないことがもどかしいこともあるかもしれない。

でも、
みんな違う、と頭にある私は
私自身、自分のことをうまく説明してどんな人となりか?など
人様に伝えることはきっとできない。

自分のことすら理解しきれてないのだ。
そんな自分が
どうして人様のことを理解できようか?

そう考えると理解されないと嘆くこと自体が不毛な気もするのだ。
まあ
理解されないと嘆くより
汝の隣人について研究したり観察したりした方がよほど生産的かもしれない。

理解されたいなら
自分がまず相手を理解する努力をしたいと思う。

とかく人は
誰それと比較しておとりたくないとか
この仲間から外されたくないとか

様々な要因でがんじがらめになることもあるけれど。

私の考えとして
みんな違う、理解できることもあるし
できないこともあるよ。

ただどうか自分の気持ちを様々な場面で偽ったり
ごまかしたりしたくはないとも思う。

人と違うのは当たり前。
恐れることも悲しむこともない。

いろんな生き方があるよ。

大丈夫。

生きてることの結果なんてさ
最期の最期にならないとわかりはしないのだ。

私はその生命の数だけある生き様を
楽しくも興味深くも
感じつつ
今後を歩みたいと思っている。


咲く花にだって成長の過程があるし
同じ紫陽花とくくったとて
育つ速度も散る早さも
違うんだ。

でもだからこそ花を見ることは私は好きなんだ。