同時刻 @ ワールドトレードセンター

そこにはここで働く日本人女性がいた。


.......私の会社はWTC内にあった。

時刻は9時頃。何かが起こっていた。詳しくはわからない。でも何かがこのWTCで起こっていた。

とにかく騒がしい。正直騒がしいどころの話じゃなかった。WTC内も、そして外も。

外は煙が立ち込めている。煙だけじゃない。映画のようにコンクリートの塊が次から次へと上から落ちてくる。

ただ事ではなかった。chaos だった。

詳細は不明のままだが突如、避難命令が出た。飛行機がWTCに突っ込んだらしいことはそれで分かった。

でもなぜ?なぜそんなことが起こるのか?飛行機が?

自体は予断を許さなかった。私たちはすぐさま階段に走った。

幸い、会社のあった場所が階段で逃げるのにいい場所にあった。

混乱はなかったとはいえない。でも押し合いへし合いして、将棋倒しになったりということはなかった。

非常事態の時に助かる道は、冷静に物事を判断することだ。

階段に余裕があったのも、助かった要因の一つだったと思う。

でも、外に出たら地獄だった。多くの人がまるで映画のように上階から次から次へと、落ちてきた...


すぐさま主人に電話するが、連絡が取れず、とにかく自宅のあるニュージャージーに向けて歩いた。

当たり前だが、すべての交通期間はマヒしていた。

消防、ポリス関係の人たちがWTC方向へ向かっていくのに対し、私は煙を吸わないように口を覆いながら反対方向へただひたすら歩いた。

この地獄から去りたかった。そして主人に逢いたかった。

誰も当てにはできなかった。ただ家のある方向へ歩くしかチョイスは残されていなかった。

しばらく歩いてフェリー乗り場にたどり着いた。なんとか最後のフェリーに乗ることができて、そして帰宅。

主人の安否はまだ分からなかった。確認すべき手段もなかった。

安否が分からない間、どうしようもない不安がのしかかってきた。

テロに巻き込まれたか?無事だろうか?死んでしまったんだろうか?生き埋めになってしまったのだろうか?

生きていて欲しい。お願いだから、生きていて欲しい。i need you to survive...

夕方になっても夜になっても、主人は帰ってこなかった。

だがついに主人は8時間歩いて、夜中近くに帰って来た。

私たちは二人で声をあげて泣いて再会を喜んだ。


落ち着いてから、私は主人にどうやって帰宅したのかを順序を追って話した。

その時に私は思い出した。

そう、階段で逃げる時、違う階に車椅子の人がいたのだが、誰も助けられない状態だった事を。

私には、その時の車椅子の女性の顔が忘れられない。

............車椅子の彼女は誰にも助けを求めることをしなかった。

ただ悲しい顔で階段を降りて行く人々を見てただけだった。。。

車椅子を皆で手伝って下ろしていたら多分より多くの犠牲者が出ただろう。

それがきっと彼女には分かっていた。

彼女は助かったのだろうか。。。。。それは今となっては分かるすべもない。。。。。。


話していて、とめどなく涙がこぼれる。

アメリカは障がい者にはやさしい国だし、寛容な国だ。

車椅子の人がいれば、譲り合い、助け合う。それがアメリカ人だ。

それなのに、この chaos の中では、助け合いの精神など、二の次だった。

みんな必死だった。逃げることに必死だった。

車椅子の女性を助けなかったからといって、誰をも責められない.....

彼女もそれを分かっていたことだろう.......


アメリカが他国から攻撃されたことは過去に1度だけある。

一度目はパールハーバー(真珠湾攻撃)。そして今回が二度目。

ハイジャックとしては史上最大規模のこの悲劇は結果的に2機の飛行機がWTCに突っ込み、1機はペンタゴン(国防省)に突っ込んだ。

実はもう1機、ホワイトハウスか国会議事堂を狙っていただろうとされる飛行機があった。

アメリカ全土がのちに、乗客たちの勇気を褒め称え、映画にまでなったユナイテッドの93便だ。


続く


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